オープニングは加福共之さんの解説と、川上時子さんの
ピアノによる、ハイドン作曲 ソナタ Hob.ⅩⅥ/4 第1楽章。
受講者の皆さんは心豊かな気持ちで、聞き惚れていました。
「万国博ホステスの思い出話」と題して、万国博ホステスを
務められた遠藤桂子さんと、当時万博に通いつめられた
万博少年の奥居武さんにお越し頂きました。
万国博は、1970年3月15日から9月13日までの6ヶ月間
千里丘陵で開催されました。
人が波打つお祭り広場、大屋根を突き抜ける太陽の塔、
そして代表的なパビリオン等、開催当時のお写真と共に
その様子や体験談を対談形式で語って頂きました。
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万国博ホステスの制服に身を包んで微笑む遠藤さん…
それぞれのパビリオンごとに案内役の「ホステス」が
いましたが、遠藤さんが務められたのは会場全体の
ご案内とVIPの接遇を行う「万国博ホステス」で、
万国博協会によって全国から募集されました。
遠藤さんは、福井県から選出された4人のうちの1人で、
面接、英語の試験などの難関を突破し採用されました。
万国博開催前年の5月から通信教育が始まり、9月から
工事中の会場に入り、実践教育が開始されました。
開催年の2月には、雪の舞う会場をミニスカートで現地視察
して回り足が凍えたこと等、今でも鮮明な記憶として残っている、
とのお話もありました。
一方、この時奥居さんは、小学校5年生。ソ連館の
ホステスにサインを貰っている映像が写し出されました。
万博会場へ歩いて15分程の自宅には、親戚・知人・取引先等の
来客があり、案内役はもっぱら奥居さんの担当だったそうです。
万博をこよなく愛す奥居さんは、こんな環境で育ったのです。
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当時は1ドル360円の時代。外国旅行は夢の世界でした。
万国博は、外国と未来が向こうからやって来てくれた感じで、
この恩恵を大いに享受しました、と語る遠藤さん。
非番の時間には会場中を歩き回ったそうです。
ロシアの木製のお皿、本場のフランス料理、ドイツ館の
フランクフルト、スカンジナビアパイ等々、心地よい疲労感
の残る身体には、大変良い回復薬となったことでしょう。
講演会場には、遠藤さんが当時着用した夏・冬用の制服と
コート、万国博協会会長の石坂泰三さんのサインのある帽子や、
採用を知らせる電報、教育・勤務等のマニュアル等、貴重な
資料が展示され、受講者の皆様は興味深く見入っていました。
奥居さんから、夏休みに9日間開催された『象まつり』
のお話がありました。象20頭をタイから神戸港に運び、
会場まで行進をしたとのお話でした。その時会場で
生まれた子象は『ヒロバちゃん』と名付けられたそうです。
奥居さんの「現在どうしているか追跡してみたい」との
ロマンに満ちたコメントが大変印象的でした。
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9月13日は閉会式。開会式に比べて和らいだ雰囲気で
会場は盛り上がりました。遠藤さんは最上段に立つ美智子
妃殿下にカーネーションを渡されました。花に埋まった
美智子妃殿下、そのお隣の佐藤首相は少なかったそうです。
遠藤さんは万博当時からずっと千里に住んでおられます。
「お友達に会いに行く」と、万博公園にはよく1人で
行かれるそうです。6ヶ月間何時も一緒に働いていた『太陽の塔』は、
今では可愛くて仕方のない「お友達」なんだそうです。
上の顔は、鼻がビンと立っている男前
中の顔は、親しみやすい団子鼻
背中の顔は、黒くて切れ長の目
ともに喜びも悲しみも分かち合った戦友なのでしょう。
万博が終わって17年後、岡本太郎さんと太陽の塔の中に
入った思い出も語って頂きました。
最後に、万国博ホステスとしての半年間の経験が、
今迄の42年間も、絆として残っており、また今日こうして
万国博をきっかけに皆様とお会いできたことが大変嬉しい、
とも語って頂き、講演会は終了いたしました。
遠藤さんの明るいキャラクターと、奥居さんの真面目顔
ながら、笑いを誘う計算されたシナリオにより、受講者の
皆様にも明るく楽しい時間をお過ごし頂けたかと思います。
楽しいトークを展開して頂きましたことを、心よりお礼申し
上げます。
最後は恒例の、千里図書館石田さんによる関連図書の
紹介も、講演内容に沿ったものであり、好評でした。
(原田)
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