琉球から沖縄へ

日 時 平成24年6月22日(金)
場 所 園田学園女子大学
講 師 松山利夫氏(平安女学院大学特任教授)
 1879年(明治12年)に明治政府は、軍隊・警察を動員して
首里城を開城させ、いわゆる琉球処分を実施いたします。
 これにより琉球王朝は滅亡し、沖縄県が誕生いたしました。
 明治政府が急いだ背景には中国(清)が長年の朝貢関係
(従属関係)にあったことを理由に琉球の領有権を主張し始め
たことにあります。
 琉球の重臣たちは日本への併合を良しとせず、脱清運動(清へのがれて王朝を再興する運動)を展開しましたが、何しろ人数が少なかったことと、日清戦争が勃発したこともあって、結局挫折してしまいます。
 明治政府は一時欧米列強に続いて国際的地位を手に入れるため、清に対して欧米並み(租界地の形成、貿易の利権等)を要求し、その見返りに宮古・八重山諸島の割譲を申し出ましたが、清とは朝鮮半島の支配をめぐっても対立して、不成功に終わりました。
 結局 琉球は沖縄としてスタートを切りましたが、政治面では清からの離脱や日本化を、経済面では日本的資本主義に巻き込まれて、基盤であった中継貿易も出来なくなってしまいます。
 人々は生活維持の観点から、中南米やハワイ等へ移民したり、日本(主に阪神間)へ出稼ぎに行くようになり、大阪市大正区等で奄美・沖縄コミュニティを形成していきました。