京都の寺田屋を訪れました。

先日以前から機会があれば行きたかった坂本竜馬で有名な寺田屋を訪れました。

時間が遅かったので中の見学は出来なかったのですが記念撮影は親切な方にとっていただきました。

またの機会ゆっくりとぜひ訪ねたいと思っておりましたが。

インタネットで調べてみると問題があるようで、あまり観光で踊されて真実をしっかりと説明に加えなくては歴史に傷がつきますね。

・・・・・・・・・・・・

現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。

しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった。

[1]2008年になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。 [2] [3][4][5]

京都市歴史資料館のウェブサイトにある「いしぶみデータベース」では、「寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し,現在の建物はその後再建したものである。」と紹介している。[6][7][8]

大正年間に現在の寺田屋の土地・建物は幕末当時の主人である寺田家の所有ではなくなっており、のちに経営そのものも跡継ぎのなくなった寺田家から離れている。

この「寺田屋」は昭和30年代に「第14代寺田屋伊助」を自称する人物が営業を始めたものであり、「第14代寺田屋伊助」自身、寺田家とは全く関係はない。