坂本龍馬の名言集

人の世に道は一つということはない。
道は百も千も万もある

出典名言から学ぶ幸せのヒント
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どこかに希望がもてる道がきっとあるはずです。

お気に入り詳細を見る 「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」

出典龍馬16歳のときに詠んだという句が、乙女宛てに作られたとされる詠草集収録。(京都国立博物館蔵)
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「世間の人が言いたいのであれば自分の事を言いたいだけ言えば良い、
でも自分のやりたい事は自分だけが知っているのだ。」という意。
坂本龍馬が12歳の時、小高坂の楠山塾で学ぶが出来が悪かったようで、退塾させられます。14歳で高知城下の日根野弁治の道場へ入門し、下士の習う小栗流和兵法を学ぶのですが、それまでの龍馬は寝小便タレで、泣き虫だったといわれており、そういう目で見られることも多々あったのかもしれません。その頃に、詠んだ句なのでしょうか。
その後、メキメキと剣の腕をあげ、武市半平太と共に、江戸留学(北辰一刀流・桶町千葉道場入門)の許しを得るほどまでになります。

お気に入り詳細を見る 日本を今一度せんたくいたし申候

出典Narinari.com NHK「その時歴史が動いた」の名言ベスト20
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乙女お姉さんへの手紙に書いています

お気に入り詳細を見る 是皆姦吏の夷人と内通いたし侯ものにて候。
右の姦吏などはよほど勢もこれあり、大勢にて侯へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先づ神州をたもつの大本をたて、それより江戸の同志、はたもと大名其余段々と心を合せ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべくとの神願にて候。

出典坂本乙女宛 文久三年(1863)六月二九日
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意訳:【悪い幕府の役人が、外国人と内通している。こうした悪役人は、よほど勢いもあり、大勢いますが、龍馬は二、三の大名と、固く約束し、同志を募り、朝廷もまず神の国を守る大方針を立て、江戸の同志 旗本・大名・その他 と心を合わせ、悪役人と戦って撃ち殺し、この日本を今一度洗濯しなければならないことを祈願する。】

有名なくだりです。洗濯したいというのは、安易に外国の援助を受けて反抗する長州を征伐している幕府の方針を進めている官僚に向けてでしょうか?
外国が政府に反乱を抑えるための武器・資金を出し、その国を侵略するのは、アヘン戦争で清国を利用した西欧列強の手であることを龍馬は危惧してこう言ったのかも。

お気に入り詳細を見る 此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり・・・すこしエヘンにかおしてひそかにおり申候。
達人の見るまなこはおそろしきものとや、つれづれにもこれあり。
猶エヘンエヘン、かしこ

出典通称「エヘンの手紙」 坂本乙女宛 文久三年(1863)五月一七日
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訳注:最近は天下一の軍学者勝麟太郎という大先生の門人となり、ことのほかかわいがられて弟子となり、すこし”エヘン顔”して密やかにおります。達人(勝海舟)の見る目は大したものだとか、徒然草にも書かれています。なおエヘンエヘン、かしこ
乙女姉への手紙は、ユーモアあふれる素の龍馬さんが、浮かび上がってきますねw
勝が発案し龍馬が発足の為に働いた念願の神戸海軍操練所(蒸気船などの訓練所)に入るんだぞ〜どうだ!えっへん!という訳です。
のちに栄太郎(高松太郎=龍馬の甥)と入りますが、正式発足後の操練所は浪人を受け入れないことになった為、龍馬は正式な練習生でなく勝の私塾の立場で入るしかなかったのですが・・・

お気に入り詳細を見る 丸くとも一かどあれや人心
あまりまろきは ころびやすきぞ

出典坂本龍馬詠草(和歌)
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温厚で円満な人格もいいが、どこかに毅然としたものがないといけないの意。
坂本龍馬は、三十数首ですが、詠草(和歌)を残しています。これは、そのうちの一句。
人の気持ちを物の形に例えているんですね。この歌は 『坂本龍馬関係文書一』に活字としては載っているものの出典の記載は無く、直筆の 史料も残されていないようです。これは、龍馬が少年時代通っていた道場に伝わる『小栗流和せき語録』 の一説が元のようです。しかし、龍馬はこの教えを受けたことは間違いありませんし、後に天下を駆け上る人格形成の基礎となったのかもしれませんけど。