聖武天皇と光明皇后

日 時 平成24年9月20日(木)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(奈良大学名誉教授)
 聖武天皇と光明皇后夫妻は同年齢で、楽しい夫婦であった由。
 首皇子(後の聖武天皇)は701年に藤原京で、文武天皇(天武
天皇の孫)の皇子として誕生し、10年後に平城京に移っています
 一方 光明子(後の光明皇后)は同年に藤原不比等(鎌足の子)
の娘として生まれています。
 両人が14〜15才の頃、時の天皇である元正天皇が藤原不比等邸に行幸された際、初めて顔を合わせ、やがて結婚いたします。
 藤原氏としましては光明子を何とか皇后にしようとしますが、当時皇后には皇族出身者しかなれない習慣があり、特に長屋王(高市皇子の子)がこれに大反対の立場を取ったため、藤原氏は左道(良くない道)を学んでいるとでっち上げて死に追い込み、その直後に光明皇后を誕生させます。
 これが臣下の娘が皇后となった最初の例で、藤原氏はさらに大きな権力を持つことになりました。
 ただ、光明皇后はよく慈善事業を行い、また夫の聖武天皇へもその都度的確な進言をされる等、功績も大きかったようです。
 特に東大寺の虞舎那仏像(大仏)の建立や、夫亡き後の遺品を東大寺に献上(正倉院に収納)する等、後世のためにもつくされた皇后でもあったようです。(写真は大仏の構造です。)