日本三大随筆の世界Ⅱ〜『方丈記』の心と言葉〜

(%紫点%) 「後期講座(文学・文芸コース)」(9月〜1月:全11講座)の第2回講義の報告です。
・日 時:9月20日(木)午後1時半〜3時40分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 『方丈記』〜心と言葉〜
・講師:小野 恭靖(おの みつやす)先生(大阪教育大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
○『方丈記』概説
・鎌倉時代初期の建暦二年(1212年)成立の随筆…今年は、≪方丈記800年
・作者:鴨長明(かものながあきら)、法名ー蓮胤(れんいん)
・冒頭で人と棲家の無常をうたい、それを五つの天災の体験によって裏付ける。そして世俗を捨てた閑居生活の安楽さを語り、さらに仏教者としての自己を顧みて全体を結ぶ構成
・流麗な和漢混交文を用いた日本文学を代表する随筆

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1.ゆく河
【ゆく河(かは)の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。】
・有名な書き出しで、世の移り行く様をうたっています。
・(大意)[ゆく河の流れはたえることなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。水の泡のように、はかないものだ。世の中に存在する人とその住家もまた同じである。]
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2.飢渇
【養和のころとか、二年があひだ、世の中飢渇(けかつ)して、あさましき事侍(はべ)りき。春夏ひでり、秋大風、洪水(おほみず)、よからぬ事どもうちつづきて、五穀ことごとくならず。・・・・・・仁和寺(にんなじ)に隆暁法印といふ人、数を知らず、死ぬる事を悲しみて、その首(こうべ)の見ゆるごとに額(ひたい)に阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむ。・・・人数を知らむとて、四五両月を数へたりければ、京のうち一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の路のほとりなる頭(かしら)、すべて四万二千三百余りなんありける。】
・『方丈記』は、 〈災害文学〉 でもある。鴨長明は、自らの足で行き、自らの目でみて、災害を書きとめています。(今で言う、ルポルタージュ作家でもあった。)
・(大意)[養和(1181〜1182年)のころ、二年間も大飢饉がつづいて、ひどい状態におちいったことがある。つぎつぎと天災が続き、穀物がまったくできない。・・・仁和寺の隆暁(りゅうげう)法印という人、数限りもなく人々が死んでいくのを悲しみ、死体に出会うと、その額に梵字の阿(ァ)を書いて、成仏できるように仏縁を結んであげたという。・・・死者の数を把握しようと、4月5月の二ヶ月間で調査したところ、都の中では、一条から・・・朱雀の路傍に放置された死体だけでも、全部で四万二千三百余体もあった。]

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3.方丈
【末葉(すえは)の宿りを結べる事あり。・・・なかごろの梄(すみか)にならぶれば、百分が一に及ばず。・・・広さはわづかに方丈、高さは七尺が内(うち)なり。・・・地を占めて作らず。もし心にかなはぬ事あらば、やすく外(ほか)へ移さむがためなり。】
・『方丈記』は、〈建物(家)文学〉でもある。→“家に執着すべきでない”ことを自らの体験で書いて、心の豊かさが必要である事を述べいる。
・(大意)[・・・余生を託する住まいを構えたことがある。これは若い頃に建てたものに比べると百分の一にも及ばない。・・・広さは方丈(一丈四方(約3m四方))、高さは七尺(約2m)にもみたない。宅地を購入して建てたのでない。もし、その土地で気に入らない事が起こったら、気安くほかへ引っ越すためだ。]

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4.みずから心に問う
*右は、今日の講義のレジュメの一部分(「みずから心に問う」の段を抜粋)です。
・『方丈記』は、 〈仏教文学〉 でもある。
・(大意)[最終の章段。「何の自慢をしているのか。物事に執着しないといいながら、草庵にこだわっているではないか。見かけは聖人(清らかな僧)でありながら、心は汚れに染まったままだ。」・・・「何も答える事はできなかった。自分ができる事は“南無阿弥陀仏”を二、三回唱えるだけであった。」]
・この最終章で、鴨長明(蓮胤)は、厳しく自問自答している。

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○あとがき
(1)鴨長明(略歴)
・1155年(久寿二):下鴨神社の神職の家に生れる
・1177年(安元三):23歳、「安元の大火」(都の三分の一が焼失)
・1180年(治承四):26歳、 「治承の辻風」 「福原遷都」
・1181〜1182年(養和):27歳〜28歳、 「養和の大飢饉」
・1185年(元暦二):31歳、 「元暦の大地震」
・1204年:50歳、出家(大原に隠棲)
・1208年:54歳、方丈の庵(日野の外山に隠棲)
・1212年(建暦二):58歳、方丈記の成立
・1216年:62歳、没する
*『方丈記』の前半は、“五大災害”が主題、後半は“庵の生活”が主題
(2)日本古典三大随筆
・1001年頃・・・『枕草子』(清少納言)
・1212年・・・・・『方丈記』(鴨長明)
・1310年頃・・・『徒然草』(兼好法師)