清盛ゆかりの人々 「西 行」

日 時 平成24年10月2日(火) 午後の部で実施
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財) 兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 院政期の代表的な遁世歌人。 俗名佐藤義清。 俵藤太秀郷
の末裔で、併衛尉を経て若くして出家。 高野山を本拠としつつ
奥州や中国・四国など各地を行脚した。 主な家集は5集ほど
あり、新古今和歌集では入集数で第一位をしめます。
 また清盛とともに「北面の武士」で活躍。 歌に通じ、武芸も闊達、妻子を持ち順風満帆な人生でした。
 西行の遁世の一番の理由は、勝手に恋心を抱き、鳥羽上皇の妃・璋子と一度だけ逢いましたが、「あこぎ」と言われ、振られてしまった。 「皇室は武士に弱い」のでその弱点をついた。 また本人は1135年ごろ、天皇の雑役の権利を取得し、その権利から毎月最低限の生活を行うことは可能だった。 西行は遁世後も毎月の権利金を受け取るため、高野山の庵を拠点として決して遠くへは行かなかった。 捨てられた妻子は弟が面倒を見たようですが、滅茶苦茶苦労し、最後は仏門に入ったそうです。
 自分の、毎月の最低限の生活費は「天皇の雑役分」の権利から入りますので心配いりませんが。
 講師は家族を捨てるなんて考えられないと大変怒っていましたが、私も同感です。
 人生なめたらアカン・・・