素敵な方々との出会い その2前半
(今回は被災地報告も交えて)
出迎え
27日、午後8時半過ぎ気仙沼駅着。コーディネートの村上さんが出迎えでくださる。宿まで送ってくださり、遅い夕食と団欒。特に医療支援、気仙沼の医療の実態を村上さんから伺った。
*ボラ宿若芽
宿のご主人は、元遠洋漁業漁師・熊谷敬三さん(奥さまは震災前の12月に亡くなられたそうです)。
自宅は1階を津波で被災、泥だしなどはボランティアに助けてもらい、床貼り、壁紙張り、などご自分で修繕(大工さんたちは手が足りなくて来てくれないので〜)した。
気仙沼の民宿・旅館は被災して復興できないまま。ホテルは工事関係者でほぼ満室。ボランティアたちは寝袋持参での活動が続いていたのを見かねて、ボランティア宿「ボラ宿若芽」として提供。自宅の2階3部屋、1階2部屋を開放してくださって、長期の方々には台所も自由に使って良しとのこと。
素泊まり1泊2000円。タオル、ぬくぬくのお布団、お風呂も、私の大好きな珈琲もありました。これで2000円は申し訳ない、使ったタオル類は洗って帰らなきゃと考えていましたら…
宿泊代の2000円は地元ボランティア協会へ寄付されていたことを知り感動でした。洗濯はボランティア協会の方々がプロに頼んでいるとのことで一安心でした。
なお、提供している布団類は1階の押し入れにあったが、密封していたためにほとんど自前、足らない分はボランティア協会が持ってきているそうです。
私の腕を振るう機会があり、ご主人と若いNPOボランティアの方々へ野菜たっぷり煮物を作りました。買い物にご主人も荷物持ちで来てくださり、
「ボランティアに来ているのだから金は使うな!」
とにこにこ笑顔で注意を受けましたが、自分が外食する分だけで作れるから〜と。
出来上がり煮物はちょっと違う味はおいしく感じるもので、おいしい美味しいと喜んでくださり、嬉しかったです。ちょっと苦手は、都会では当たり前になった室内禁煙が…ご主人大好きなタバコ。
*28日;駒場公園住宅…村上さんもスリーAの輪の中に♪
お忙しくて毎回、送迎などだけでしたが、今回は輪の中に入られて、楽しそうにゲームをしてくださいました。シーツ玉入れをしながらカメラで撮影もされていました!
ここでリズムの三拍子「ふるさと」を歌い終わると、避難所での慰問でしんみり「故郷」を聴いた、あの時には家を思い出して泣けた、「上を向いて歩こう」も悲しかった…今はこのリズムで歌うのは良いんだよ〜と。
超高齢者のギター弾き語り、ユニークな個性で周りを笑いの渦にしてくださり楽しかったです。ほぼ寝たきりご主人を介護されている方がおられて、最初はゲームに乗り気ではなかったのですが、ご主人の様子を見にお家に帰るが、すぐに戻ってきてくれて、楽しんでくださいました。終わりには「凝った肩が軽くなった〜 こんなこと初めてだ〜」と喜んでくださいました。
何人もの被害者のうちの一人、娘なんだよ〜 やっぱり悲しくて上を見なきゃ涙がこぼれると話された方も。
*ボラ宿近隣自治会長さん「スリーAゲームをやりたい!」
ボラ宿さんに来られて、名刺とパンフレットをご挨拶にお渡ししたら
「これはきっと皆関心があるよ〜また来てくれるか?」
の声で、では試しにとスリーAゲームを同宿者を交えて7名でやりました。若い方が出来なくて〜 でも笑顔でこれは自然に笑えるなぁ〜と。
*29日;和田恒明さん東京在住復興支援個人ボランティア
早めの集合で、唐桑半島先っちょの「津波体験館」見学に連れていってくださいました。津波体験は点検のために体験は出来なかったのですが、3・11を纏めた映像を見せてくださいました。津波が陸に上がると何故、海のときより高いTUNAMIになるのか〜などの説明もあり、威力・強力なことが少し理解できた。インタビューに答える赤い服の女性が印象的でした。
津波体験=映像で前から高い波が被るように映し出されて、波の音、椅子も揺れる実体験の様子だそうです。リアス式海岸の唐桑半島では、昔からの津波の恐ろしさの教育のひとつなのでしょう。
*小原木小学校住宅、
静かな山の上の住宅で、人が集まるのか心配でしたが、三々五々集まって見回り隊の方も含めてお手玉回しのときには16人でした。左半身不随の方も、楽しく過ごして頂けたようです。見回り隊お二方、住民の方々、ご主人方も。
コーディネートしてくれた和田さんも輪に入ってくれて、盛り上げてくれました。楽しい仲間・同じ地区の方同士の住宅だそうです。盛り上りすぎて、次のゲームに移行するのにリーダーとして頭を使いました。
*漁火パーク住宅
村上あや子さん 鈴木さん他 和田さん
仙台から包括支援センター勤務の大高(看護師)さん。
大高さんは、スリーA研修会を仙台で開催予定をキャンセルになりとても残念だが、自分は是非体験したいと、貴重なお休みの日に仙台から車を飛ばして気仙沼に。
最初にお見えの方は膝が痛くて…座るのがつらいと仰った方、最後はさっきの痛みはどこに? さっさと座位でも平気でした。
こちらでもいろんな話が途切れることなく、話してくださいました。そこのリーダー的な方が津波体験館で見せていただいた映像でのインタビューに答えていらっしゃった赤い服の方でした。
彼女の避難所の暮らしの一部始終を聞きました。いつも身につけていてほしいと言い続けているのは「懐中電灯と現金3〜5千円」を肌身離さずと思っている。彼女は、あの3・11に支払いのために貯金をおろしたままのバッグを持って逃げた。現金と通帳と印鑑が入っていたので、とても助かった。逃げて集会所に集まり、すぐさま「米と味噌」を買いに走らせた。現金があったから買えた。夕暮れになって、集会所に備え付けの蝋燭のあかりで賄いをはじめ、とりあえずおにぎり、味噌汁で暖まった。プロパンガスだったので転がっているボンベを集めて煮炊きには使えた。幸いなことに新鮮な魚を積み込んだ冷凍庫が行き先には行けずに戻ってきたので、冷凍庫として大事に使った。新鮮なお刺身が頂けたのはそのせいだけれど、いやな噂も出たが、そういうときの知恵を持たなきゃ〜の体験から「現金3,5千円と光・懐中電灯」最低限身につけてほしい。
和田さん大高さんと懇親会
仙台から駆け付けて下さった大高さん…楽しかった、取り入れたいが仙台の包括支援センターは民間への委託なので、自分は上司と行政との意見を聞きながらなので意思決定が出来ない。近い将来なんとしても取り入れたい。仙台近辺である時には是非、声をかけて下さい。
和田さん、ほとんどの週末は東北関連のイベントで来ている。昨年5月に東京都からの支援バスツァーで気仙沼入りをした。その頃はまだ浜の方には入ることは許されなかった。警察と自衛隊が捜索をしてOKが出てから付近の片づけなどを行った。大変な状況だった。大学を卒業した若者が、ボランティアで居残っている者も多い。唐桑半島は津波被災面積は小さいが復興への支援は遅く手のつけられていない場所もあると聞く。仮設の住宅へは、地区まるごと顔見知り住民なので始めから穏やか・・・。
*大漁唄い込み保存会の方々 鮪立(しびたち)地区
ちょうどその日は八幡様への保存会の方々が歌を奉納するので、見に行こうと切り立った山の上の八幡様へ息を切らして登った。大漁のときに振舞われるという裾模様に縁起の良い絵柄の着物を着て(裾から見える足元は…スニーカーでした!)、鉢巻き姿の男衆が奉納しました。昔、和歌山の方が移住されたので、唄い込みの歌は和歌山のが元とのことでした。
…素敵な出会いその2後半に続く…
(運営委員 福井恵子)