清盛ゆかりの人々 「後白河 天皇」

日 時 平成24年11月6日(火) 午後の部で実施。
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
 平安末期の天皇。 鳥羽天皇の第4子。 母は待賢門院璋子。
名は雅仁。 久寿2(1155)即位し、翌年7月の保元の乱で、
兄の崇徳上皇方を破って政治的地位を確立。 以後5代に渡って
院政を行った。 平清盛との対立により、治承3鳥羽殿に
幽閉され、一時的に院政を停止されてしまいます。 しかし清盛の死後、院政を再し、源頼朝と組んで平氏・源義仲らを滅亡させました。 また仏教に深く帰依し、「蓮華王院」を築造した。 嘉応1出家。また今様を好み「梁塵秘抄」を選したそうです。 
 また順番から言って天皇になる順番は全くないので、誰も帝王学を教えてはくれませんし、単なる天皇のスペアなので、誰も相手にしてくれなかったそうです。 やがて自暴自棄となり遊女と遊びまくりました。 その頃は長崎で流行った南方系の病気は、約一週間で京都まで上ったそうです。後白河天皇はその南方系の病には特別強いのかも知れません。
 現在は情報と医学が発達していて、自暴自棄になることは少ないとおもいますが、医学も世界平和に役立てて欲しいと思います。