清盛ゆかりの人々 「文 覚」

日 時 平成24年12月11日(火) 午後の部で実施
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財) 兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧。
 「文覚」または「高尾の聖」とも呼ばれています。 摂津の
国の武士集団・渡辺党に属し、俗名遠藤盛遠。 上西門院に
仕える北面の武士。 盛遠が同僚の渡辺亘の妻・袈裟御前に
一目惚れしてしまいます。 彼女と盛遠とは血縁に当たり、袈裟にも少し気の緩みがあったようです。 何度か忍び逢いを重ねるある日、(亘と別れて俺と一緒になれ)と身勝手なことを要求されてしまいます。 彼女には一本気で思い込みの激しい盛遠を説得できないし、袈裟にしては、ほんの遊び心でいました。
 しかたがないので、夜寝静まった頃寝所に押し入って、夫を殺してくれと頼みました。 そして寝所を襲い、亘の首を取り、「袈裟御前」に見せようとしましたが、その首は愛する袈裟御前の首でした。 
 それが原因でわずか19歳で出家し、さびれていた京都高尾山の神護寺の再興を後白河天皇に何回も強訴し、島流しになってしまいます。 そこで「源頼朝の処遇」を知り平氏討伐の話ができ上がり、頼朝が権力を握っていく過程で神護寺の再興が出来ました。
 人間は動植物と違い冷静に判断はできませんが、政治家は特に冷静に対処お願いします。