『西行の歌をよむ』〜能因とのかかわりを中心に〜

(%紫点%) 後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全11講義)の第8回講義の報告です。
・日時:12月6日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:『西行の歌をよむ』〜能因とのかかわりを中心に〜
・講師:下西 忠先生(高野山大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.西行と能因
【西行(1118〜1189年)】
・平安時代後期の歌人。俗名は義清(のりきよ)
・1140年、23歳で出家。高野山時代(1149〜1178年頃)・約30年間)
・西行の旅…吉野・伊勢に止住、四国・関東・東北などへ旅
・家集…『山家集』、『西行上人集』、『聞書集』
・河内の弘川寺で入寂
【能因法師(988〜1050年頃)】
・俗名は橘永愷(ながやす)。肥後守橘元愷の子。
・30歳ごろ出家し、法名能因。
・摂津国古曽部(こそべ)(大阪府高槻市付近)に住んでいたので古曽部入道とも呼ばれた。
・歌書『玄々集』、『能因歌枕』
・「百人一首」「嵐ふく 三室(みむろ)の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり」(能因法師)

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2.西行、陸奥への旅
★(能因法師) 「都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」
・・・西行は、能因の跡を慕って、みちのくへ旅に出た折に、白河の関でとまることがあった。あの能因法師が「都をば・・・」と詠んだのはいつのことだったのかと思い出されて、名残惜しいので、関所の柱につぎの歌を書きつけた。
○(西行) 「白河の 関屋を月の もる影は 人の心を とむるなりけり」
(歌意)(荒れはてた白河の関は、月の光が洩れて、人の心をとめるだけである)
・掛詞(かけことば):もる影(洩る−守る)

*西行は、二度、陸奥へ旅している。最初は30歳ころ。二度目は文治元年(1186)69歳のときであった。

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3.本歌取り
★(能因法師) 「こころあらむ 人に見せばや 津の国の 難波わたりの 春のけしきを」
(歌意)(風情がわかる人に、見せたいな。津の国の難波あたりのこの春の景色を)
○(西行) 津の国の 難波の春は 夢なれや 蘆の枯れ葉に 風わたるなり」
(歌意)[(能因が詠んだ)摂津の国の難波の春の美しい景色は、夢であったのか、今はただ一面の蘆の枯葉に、風がふきわたるばかりだ」

「本歌取り」とは、有名な古歌の表現を取り入れて、新たな歌を詠む技法。
[能因法師の歌]–⇔—-[西行の歌]
・春の景色——⇔—-冬の景色(蘆の枯れ葉)
・春の美しさ—–⇔—-風の音を聞き、もののあわれ

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≪「備忘録」…講義のメモ帳より抜粋≫
(1)西行と定家
【西行】…俗語も多い・どろくさい・素人っぽい。しかし、自分を詠み、心を詠んでいる
【定家】…プロ好み・言葉は洗練されている。
(2)和歌の修辞表現
・掛詞(かけことば)
・縁語(えんご)
・本歌取り(ほんかどり)
・歌枕 etc.
(3)語の概念
・をかし
・もののあわれ
・幽玄
・わび・さび etc.