ハンサムウーマン京を行く

日 時 平成25年1月29日(火)
場 所 大社公民館
講 師 霜澤喜代子氏(西宮東高校教諭)
 大河ドラマのヒロイン(八重)の後半生を解説いただきました。
 戊申戦争に敗戦した八重たちは、京の兄・覚馬を頼ります。
 1875年には、新島 襄と覚馬が設立に尽力したキリスト教
主義の学校(同志社英学校)が開校いたします。
 その翌年 八重は洗礼をうけ、襄と結婚して新生活をスタート
させますが、生活は当時ではめずらしく専ら洋風で、食事も洋食中心のようでした。
 この頃 八重の悪妻ぶりが風評されますが、これは日本の男尊女卑の風土の中、レディーファーストを取り入れた欧米風の生活に起因していたと考えられます。
 襄は、八重を評して「美しい行いをする人(ハンサムウーマン)」と表現しました。
 やがて襄は心臓病を患い、募金活動のさなかに倒れ、大磯で療養するも「グッバイ、また会わん。」と言って47歳で永眠してしまいます。
 襄の死後、八重は日本赤十字社の社員となって日清戦争では看護婦として従軍しています。
 またその傍ら、裏千家第13代家元・千宗室に茶道を習い、茶人としても大成いたします。
 やがて旧藩主・松平容保の孫娘が秩父宮と結婚し、これにより会津は朝敵・逆賊の汚名を返上することができ、これを見届けて八重は1932年に86才で眠るように他界しました。(写真は同志社)