日 時 平成25年2月18日(月)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 佐古和枝氏(関西外国語大学教授)
古事記や日本書紀で天孫降臨までのほとんどが出雲神話です。
なぜこれほど多くの出雲神話が採択されたのでしょうか。
これには記・紀編纂時にさかのぼらなくてはならないでしょう。
古事記は天武天皇の命で稗田阿礼が誦習していた伝承を太安
万侶が書き記したもので、日本書紀はやはり天武が皇子の舎人
親王達に命じて編纂させた正史(国が認めた歴史書)です。
これらの編纂の背景には、国内では大化のクーデター(645)や壬申の乱(672)があり、外交では百済滅亡(660)や高句麗滅亡(668)等がありました。
天武は壬申の乱に勝利し、国家建設事業に乗り出しますが、その根本は「天皇中心の中央集権国家を正当化すること。」に他ありません。
天皇家は天照大神を祖先としますが、大和政権時に出雲はすでに神マツリの世界を構築していたと考えられ、大和側はこれを制圧することや、天照(すなわち天皇家)が主導権を掌握することも急務であったことから、大国主命に「国を譲る」と言わせる必要があったのでしょう。
天孫降臨以後でも、崇神(10代)紀では「出雲の神宝」を献上させたり、垂仁(11代)紀では物言わぬ王子・ホムツワケを出雲に参拝させたりしており、かなり出雲を意識していたことがうかがえます。