堀辰雄 『風立ちぬ』 『美しい村』

(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)の第4回講義です。
・日時:4月4日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:堀辰雄 『風立ちぬ』 『美しい村』
・講師:三島 佑一(みしま ゆういち)先生(四天王寺大学名誉j教授)
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**堀辰雄**[明治37年(1904年)〜昭和28年(1953)]は、東京都に生まれ。一高在学中に室生犀星、芥川龍之介と知遇を得る。小説『聖家族』『美しい村』『風立ちぬ』で作家として確立。『菜穂子』などでフランス文学の影響を受けた作品や、『かげろふ日記』『大和路・信濃路』では日本的な美の姿を描く。
○『風立ちぬ
・堀辰雄の代表作で、「美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、結核に冒されている婚約者・節子と付き添う〈私〉が、死の影におびえながらも、残された時間を支え合いながら共に生きる物語。
・「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」の章は、淡々と節子の死に向かって進行していくが、ふたりの〈少し風変わりな愛の生活〉が始まる。残された時間を支えながら生きる幸福。そしてふたりだけが知っている生の愉しさ。⇒「皆がもう行き止まりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ
・終章「死のかげの谷」では、3年半ぶりに一人きりでこの村に入り、死者を悼む 《鎮魂曲》(レクイエム)として書かれた。
・作中にある「風立ちぬ いざ生きめやも」という詩はポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」を訳したもので、有名な一節。

『美しい村』
・軽井沢のひと夏の情景を描いた作品(避暑地の高原で小説を書こうとしている主人公と出会った少女との交流が描かれる)。季節の移り変わりの中で変わっていく風景ー自然の美しさが描かれています。
・「序曲」「美しい村」「夏」「暗い道」の4章からなる。
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*あとがき*
(1)堀辰雄は、昭和10年婚約者・矢野綾子の病気療養のため富士見高原療養所にともに滞在したが、5ヵ月後に綾子は死去(25歳)。この体験から「風立ちぬ」が生まれた。
・当時、結核患者は、治療薬がなく、「大気・安静・栄養」の自然治癒力の療法。いつも死が間近かにある病い。−堀辰雄も肺結核を病み、軽井沢に療養する事が多く、そこを舞台にした作品を多く残した。
(2)「風立ちぬ」では、婚約者・節子の周囲には父親だけが登場し、〈私〉の家族はいっさい書かれていない。⇒堀辰雄は単純なシチュエーションの繰り返しを選んだ(限られた選択して、他は切り捨てている)。
(3)「風立ちぬ」は、全編にわたって、ほとんどが心理描写と情景描写。やわらかい文章。しかし、物悲しい節子の「死」(亡くなるシーン)は、一切描写されていない。また、時代(戦時下の不安な時代)に迎合しない堀辰雄の作品。
・≪情景描写≫の一例(「序曲」より…「私達は手を組んだまま、一つの沢の前に立ち止まりながら、押し黙って、私達の足元に深く食い込んでいる小さな沢のずっと底の、下生えの羊歯(しだ)などの上まで、日の光が数知れず枝をさしかわしている低い灌木の隙間をようやくのことで潜(くぐ)り抜けながら、斑(まだら)に落ちていて、そんな木洩れ日がそこまで届くうちに殆どあるかないか位になっている微風にちらちらとゆれうごいているのを、何か切ないような気持で見つめていた。」←自然をよく観察しているからこそ、書ける情景描写です。