明治の教育機関 「森 有礼」

日 時 平成25年4月9日(火) 午後の部で実施
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財) 兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 初代文相で、薩摩藩士の5男。 藩の造士官や開成所で学び
ました。 慶応1(1865)にイギリスに留学。 続いてロシア、
フランス、アメリカに渡り、キリスト教の影響を受ける。
 帰国後、清国公使イギリス公使を歴任。 その頃の薩摩藩は、
貧しくて本屋が無く、文字の読める人が少なくて、郷中教育と呼ばれる口写しの教育で、近所の悪ガキと呼ばれる少年達が集まって、稚児は6、7歳から13、14歳まではお互いが記憶にある物を教え合い、また14、24歳では2歳の幼稚園児に教えていた。 万延1(60)林子平の「開国兵団」を読み洋学に覚める。
 また、日本は鎖国をしていて、大事な知識が入ってこなかったので、藩へも早く開国を迫っていましたようです。 
 その後、明治22年永田町官邸で、山口県士族の西野文太郎に刺され翌日死去するが、その原因はいまだに不明のようです。 そして、郷中教育のお金が無くても出来る教育は、イギリスでボーイスカウトとして発展しています。 
 また、森の急進的な考え方は「明六の幽霊(有礼)」などと皮肉られましたが、近代国家としての教育制度の確立に尽力しました。 明治の六大教育家で一橋大学の創設者でもあります。