はじめまして、Hanaすみれ通信です。

はじめまして、Hanaすみれ通信の阪神間モダニズム研究会です。

阪神間モダニズム

それは、阪急の創立者であり、
宝塚歌劇の創立者でもある逸翁(小林一三)が、
開業当時、みみず電車と言われた有馬箕面電気軌道(現阪急宝塚線)の沿線で目指した田園都市構想の試みのこと。
まさに世は大正デモクラシーの時代であり、
サラリーマンが生まれ始めた時代です。

有馬箕面電気軌道は有馬まで開業することができず、
当時鄙びた温泉村であった宝塚を終点にせざるを得なくなりました。
阪神電気鉄道(現阪神電鉄)のように都市間を結ぶのでもなく
西宮戎や生田神社などの参拝客が見込めるのでもなく、
沿線は田園風景が広がる長閑な風情でした。

そのため、小林一三は沿線の住宅開発を行うと共に
終点の宝塚を宝塚新温泉として
室内水泳場を中心とした娯楽施設パラダイスを作りました。
しかし、室内水泳場は室内にプールを作っただけの施設であり、
冷たくて入れず、大失敗しましたが、
これが幸か不幸か宝塚歌劇の始まりに繋がるのです。

プールを客席に
更衣室を舞台にして
当時、大阪で流行していた三越少年聖歌隊に対抗し
少女だけの宝塚唱歌隊を作り、公演を行いました。

もともと逸翁は男女混合の国民劇の創設を目指していたのですが、
思いのほか少女だけの宝塚唱歌隊の人気が出てしまい、
何度か男子部創設を画策するも
永遠の少女らしさ、アマチュアリズムを求める
コアなファンの反対にあい、
少女による少女のための清く、正しく、美しい宝塚に変容していきました。
また、これは他の少女歌劇がエロティシズムに流れていく時代にあって
他劇団との差別化戦略として利用された面もあります。

その後、阪神急行電鉄神戸線(現阪急神戸本線)が開業し、
宝塚市・西宮市・伊丹市・尼崎市・三田市・川西市の北摂から
神戸市灘区、東灘区・芦屋市の阪神間に拡大し、
沿線に大学を誘致するなど沿線のイメージづくりを行いました。

このブログでは、阪神間モダニズムの象徴であり、
宝塚市の誇りでもある宝塚歌劇について語ります。

写真は宝塚新温泉に作られた宝塚パラダイスの室内水泳場です。

【参考文献】
「宝塚歌劇の変容と日本近代」
「宝塚—消費社会のスペクタクル」 (講談社選書メチエ)
「近代日本の音楽文化とタカラヅカ」
「宝塚戦略—小林一三の生活文化論」

【参考URL】
宝塚温泉 神々に選ばれた土地
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