12月2日、第2回”まちかど土曜ブランチ”が開催されました。
「ひがしまち街角広場」が地域と大学の交流の場になることを願って、10月にスタートしたプログラムです。
この日は、約20名が集まり、留学生のマイナ・ヴィクタ君によるスライドと話「ケニアの街とくらし」を楽しみました。
まず、東アフリカにある面積は日本の1.5倍、人口は1/3の国、産業は観光・農業、言語は英語・スワヒリ語、部族はキクユ族・マサイ族など43、宗教は主にキリスト教、気候は赤道直下にあるものの標高が高く冷涼であるなど、ケニアの概況が紹介されました。
次にマイナ君の生い立ちを通じて、ケニアの生活が紹介されました。
・名前(マイナ・ヴィクタ・ナンゴ)のマイナは、父親から譲受け、
ナンゴは子どもに与える名前であり、こうして家族が継承される。
・生まれたモロ市は、標高2500mにあり、寒い時もある。
・農家であったが、家々が離れ、電気・水道はなかった。
・主食はトウモロコシ、交通手段は徒歩か自転車、又はロバ
・小学生の頃は、母親の仕事の関係で街に住み、
遊びは、主に手づくりのボールを用いたサッカーだった。
・冷蔵庫をもたない人が多く、食料は1日分しか買わない。
・高校・大学は、首都ナイロビの男子校で勉学に励んだ。
ケニアの国旗には、緑(自然)、赤(戦い)、黒(民族)、白(平和)のような意味が込められていることが紹介されました。
国内に数十の国立公園や保護区があるように、ケニアの人々は自然を敬い、自然を守ることを幼い頃から教えられ、大切にするようです。
ブランチをいただきながらの懇談では、次のような興味深い話が聞かれました。
・車種の多さから、ミニバンはニッサン、バイクはホンダと呼ぶ。
・ケニア・タンザニア間を移動するマサイ族は、住所をもたない。
・結婚は、複数の中から選択した法律のもとで行い、一生を送る。
・ケニアに5年住めば国籍が与えられ、中国からの移住者が多い。
・日本で驚いたのは、着物姿が少なく、女性が自転車に乗ること。
最後に、ケニアの国民性を表すスワヒリ語が紹介されました。
”HARANBEE(ハランベー:共に働こう!)”
そして、次の言葉で締めくくりました。
”ASANTE(アサンテ:ありがとう!)”
家族や祖先・一族、自然を大切にしながら、共に働き・生きる・・・マイナ君は、今の日本が忘れかけた大切なことを教えてくれました。
1月は13日(土)、ピーター・ポポウィチュ君がハンガリーの街と暮らしについて語ってくれます。
(Y)