ケーキは本当に皆で分けたほうが良いのだろうか?

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「ケーキを全部食べるのと半分食べるのとどっちが大きい?」

ケーキは全部より半分のほうが幸せになる人が
二倍になってよい。
私は数日前にこのようなことを書き、基本的に肯定した。
とすると、分けてもらった人がさらに半分にして次の人に幸せを
分け与えていくことになる。
すなわちケーキを半分より1/4、1/4より1/16に
分けていったほうが幸せは4倍、16倍と段々増えていく。
これは本当に喜ばしいことなのか?

果たしてどの程度の大きさのケーキまで人は幸せを感じることができるのだろうか?
それにケーキ自体の数も無限にあるわけではない。
さらに時間的な差があるとすれば、手に入れるケーキの大きさは
後の人ほど小さくなっていくだろう。
では、幸せを感じるケーキの大きさを決めて、その大きさまで小さくなった段階で
配分を止めるのか?
でも、幸せを感じるケーキの大きさは人によって違うかもしれない。

また人数ではなく、本当に必要な人に配分すると言う考え方もあるだろう。
でも、その際はやはり最小限の大きさを規定する必要はあり、
ケーキ全体の量を求めてその大きさで割って配分可能な量を求め、
次に人の不幸せの指標を選択して不幸せな人から順に配布していくやり方もある。
しかし、そこには最初の幸せな人をいっぱい増やしたいと言うことから
はじめたのにもかかわらず、手に入れることの出来る人の基準を設け、
結果的に幸せになれない人を増やすかもしれず、
これではそもそもの目的が達成できなくなる。

またケーキの配分を得た人はいわば不幸な人とのラベルを自他ともに
貼ることになり、これもケーキを得た幸せを相殺するに十分な不幸を産むこと
になりはしないのだろうか?
 
ぎりぎりで配分をもらわなかった人はもらった人を見下すことによって
昇華することになるのだろうか?

だからといって、ケーキを全部一人で食べるべきではないだろう。
一人よりはなるべく多くの人と一緒に食べるほうが良い。
多分、ここでの議論に絶望を感じつつ、可能な限り適切な配分方法を考えていく
姿勢が必要なんだろうね。
この配分の絶対的な答えがると考えるのは間違いのもとで、
おそらく適切な配分方法なんてありえない。
そのことを自覚しながら、それでもなお適切に配分し続けようとすること

が大切なんだろうと思う。