随分と経ちましたが、キララ会員交流会に参加して思ったこと。

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=キララ会員交流会=のご報告

随分と経ちましたが、キララ会員交流会に参加して思ったこと。

ジェンダー(社会的性別役割)は間違いなく社会的に構成
されたものであり、男性らしく、女性らしくなんて実は意味が無い。
常識なんて言うのは、時の権力が決めたに過ぎない。
権力が変われば、常識は変わる。
だから、中立であると言うことは、結局は権力に従うことになる。
したがって、主観的に、ゴンゾー的に主張していかなければならない。

客観的と我々が呼んでいるものも実は多くの人々がそう考えることを
客観的だと思い込んでいるだけに過ぎない。
結局は権威ある?科学ジャーナル共同体内の単純な数の論理だったりする。

健康診断なんて最たるもの。
これは極端に言えば、多くの人々の測定結果を集計して平均をとり、
平均から外れた値を異常としているにすぎない。
そこには何の根拠もない。
私はこのお陰で数日振り回されている。
最近のドクターは患者の身体を診ない。
PCに表示された測定結果を患者と一緒に診る。
実に不思議だ。
と思っていたら、「医学は科学ではない」と言う本が出ていた。
我が意を得たり。

うーん、話がどんどん逸れていく。

ジェンダーは社会的に構成されたものだ。
でも、実はセックスも社会的に構成されたものではないかと
キララ会員交流会で思った。

性染色体にはXとYがあり、XXが女性で、XYが男性を表すらしい。
しかし、もともとXやYと言う性染色体がある訳ではない。
科学者がそのような物質を想定し、それらしいものを探したから
見つかったに過ぎない。
そう、男女と言う分類自体を人間が作り出したのだ。

従って、想定していた物質が違っていれば
現在の男女の生物学的定義さえも変わっていただろう。
男女差なんてとても恣意的なもの。
あるXとYと言う判断要素を二つ持ってきて、
XXの組み合わせが女性
XYの組み合わせが男性
としたに過ぎない。
別にXとYである必然性はなく、例えばW、X、Y、Zの
四つの性の組み合わせでも良かったのだ。

そのため、現在の二つの性の分類に当てはまらない人々が
多く存在することになった。
そして、彼/彼女は自分達のアイデンティティを表す新たな
表現方法を求めている。

纏まりきれないなぁ・・・

キララ交流会に出て、我々が今、常識だとか伝統だとか信じているものは
実は非常に脆いもので、それらに拘泥することなく、我々が生きやすいように
常に古い言葉を新しい言葉に書き換えていくことが重要なんだと思いました。

わかるかな?
わかんないだろうなぁ・・・