かかわり教室さんを訪問して

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かかわり教室さんを訪問して思ったこと。

LD、ADHDが顕在化する子としない子?

教育大学時代から「かかわり教室」でボランティアをして
小学生の教師になって二年。土曜日には必ずここに来るというアキさん

学力だけ見れば、LDやADHDと診断された子どもと
同じぐらいの学力の子どもはクラスにいるそうだ。
とすると何が違うのか?

一番の違いは挨拶ができるかどうからしい。
LDやADHDと診断された子どもの親には挨拶をするなどの
いわゆるソーシャルスキルが身についていない人が多いそうだ。

子どもの障害は母親の責任ではないけれど
子どもがソーシャルスキルを身につけていないのは両親の責任。
でも、LDとADHDの発症と親のソーシャルスキルとの関係はどうなっているのだろうか?

あきらめつつ、あきらめない

LDやADHD、高機能自閉症の子どもは
時として幼少時に記憶力が良いとか
ある側面だけ高い能力を示すことがある。
そのため、親は障害に気づくのが遅い。

また子どもの障害を受容できないため、
「この子は普通だ」とどうしても子どもに無理をさせてしまう。
しかし、どんなに頑張っても決して障害は無くならない。
同じにならないからと言ってネグレクトなど虐待したり
ソーシャルスキルだけを身につけさせれば良いと言う訳ではない。
同じにはならないけれど改善することはできる。

とは言え、親はあきらめない。
普通学級に入らせたいと思うし、
普通高校に合格したり大学に合格すると
障害が無くなったかのように思うけれど
決して障害は無くならない。

でも、この親たちを無知だと非難できるのだろうか?
親としては完全に諦めるとネグレクトになる。
諦めないでいると、身体的虐待や心理的虐待になる。
だから、あきらめつつ、あきらめないと言う微妙なバランスが必要なのかも。
そして、通常学級に行けないよりは行ったほうが良いだろうし、
大学にも行けた方が良いだろうなぁとは思うけど、
一方で特別支援教室に行った方がその子のためなのかもしれない。

特別支援教育こそ本当の教育

特別支援教育とは特別なニーズを持つ子どもに対応した教育を行うこと。
同じ分数の計算を教えるにしても子どもによってニーズが違う。

一人目は、弟とケーキを分けるために
二人目は、色分けするために
三人目は、分数の概念を理解するために

通常学級の子どもも本来はひとりひとりニーズが違う。
特別支援教育が通常教育の補完なのではなく
特別支援教育の実践こそが本来の教育の姿かも知れない。

従来の専門家ではわからない

医師の診療は障害を持つ子どもの場合でも15分程度
その15分の中でLDやADHDなどを診断するのは難しい。
ディスレクシア(失読症)と診断された子どもが実は自閉症だったり。

親が学習障害だと主張し、そして医者の手に負えない
子どもがここに紹介されてくる。
医者は文献などでLDやADHDは知っているが、
そのような子どもに接したことが無かったりする。

このかかわり教室も教師や医師の卵がいる。
彼らはこれから多くのこども達と接する職業だ。
若い頃に特別なニーズを持つ子どもたちと接した経験は貴重だ。
ここでの経験がこども達ひとりひとりのニーズに合った教育や治療を
行える可能性を増大させることは確か。

将来、子どもと接する職業に就く学生は
皆、軽度発達障害の子どもと触れ合うことが必要だと思う。