キレる子どもや問題行動を起こす子どもは
親との愛着障害が原因である場合が多い。
と言うことで文部科学省は
これから、保護者に愛着形成指導を行うとの
政策を発表した。
でも、大きく問題がふたつありそう。
ひとつめは、親と子の愛着形成と言う極めて私的な領域に
指導と言う名で国家が介入してよいのかと言う問題。
自発的でない上から押し付けられる養育者の義務としての愛着形成って
愛着障害とすれすれの危ういもの。
そもそも親とその親(すなわち子どもにとっての祖父母)
との愛着形成がきっちりとなされていなければ
いくら文科省が子どもに愛着形成をとやっきになっても無意味だろう。
それがなされていない親が、
文科省の愛着形成指導マニュアルに盲目的に従えば、
愛着形成のつもりが過保護、過干渉と言う愛着障害になり、
子どもがキレたり、不登校や引きこもりなどの問題行動を起こす。
しかも、こちらの愛着障害は
身体的虐待や心理的虐待、ネグレクトとは違い、
顕在化しにくいうえに
一般的には、そもそも子どもがキレたり、
問題行動を起こさないために
親が子どもに愛情を注いでいたのに
子どもが・・・となり、親の責任が見えなくなってしまう。
なによりも、キレる子ども、問題行動を起こす子どもを
無くすために愛着形成って本末転倒なような気がする。
これでは、子どものためではなく、学校のためであり、
親の面子のためとなってしまうのではないかと思う。
子どもはこの欺瞞に直感的に気づくと思うけど・・・
もうひとつは、子どもがキレたり、
問題行動を起こす原因が
親など養育者の責任、
あるいは子どもの脳の問題、すなわち子どもの責任に
還元されてしまいやしないかと言うこと。
その結果、子どもがキレたり、問題行動を起こす
社会的な要因、心理的な要因を隠してしまうんじゃないか。
自分の生きづらさをうまく言語化できない子どもが
キレたり、問題行動を起こすことによって
社会に異議申し立てをする権利が奪われないかと思う。
確かに国家としてはキレる子どもや問題行動を起こす子どもより、
キレない子どもや問題行動を起こさない子どもの方が管理しやすい。
しかし、それは同時に国家の失敗を個人的な問題にすり替えて
しまうことを意味するのではないかと思う。
愛着形成を指導するまえに
まずは養育者に
経済的余裕をベースにした精神的余裕を生み出すことから
始めるべきではないかと思う。
それがなしに、親と子の愛着形成を強制すれば、
ますます養育者にプレッシャーをかけ、
精神的余裕をなくさせるのではないかと思う。