A 級戦犯の回想録を読む

仕事がらみで、A級戦犯だった人の回想録を読んだ。

田舎の名士の子供に生まれた彼は、
父親の倒産で高等学校に進むことを断念し、
陸軍学校に入り、職業軍人の道を歩む。

蒋介石やムッソリーニといった、
われわれにとっては歴史上の人物が同時代人として登場し、
中国の状況をワクワクと読み始めるのだが、
軍人ゆえの抑制か、オッ、歴史の裏側がわかる、
と期待を膨らませたとたん文章が終わる。
そういうはぐらかしの繰り返しだった。

以前に、長い間大学で教鞭をとった人の、
自分史を編纂したときも、そんな感想を持った。
大学ノートに書かれた彼の手記は、
記憶を探り、素敵な場面に行き着きながら、
ある情感が湧き上がってくると、サッと、
自分が広がるのを断ち切ってしまう。

読者は、オオっと盛り上がったところで、放り投げられ、
なんともいえない欲求不満に陥るのだ。

たぶん外部に向かうときに、われわれ以上に、
自分を抑制せざるを得ない職業が、いつの間にか、
習い性になったのだろう。

さて、私は?『にっち倶楽部』に文章を書きながら、
はたして、自分を解き放つことができているだろうか?
書くことの難しさを痛感する日々だ。