40年続いてきた奈良婦人読書会の記事を書くために、
その指導者鈴木昭一さんが専門にされている
島崎藤村の本を2、3読んでいます。

島崎藤村というと、思い浮かべるのは、

 名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の実一つ

の『椰子の実』の詩でしょうか?

 昨日またかくてありけり
 今日もまたかくてありなむ
 この命なにを齷齪(あくせく)
 明日をのみ思ひわづらふ

という『千曲川旅情の歌』の一節も記憶に残っていますね。
中学か高校時代、教科書で習ったのでしょうね。

学生時代『破戒』を読み涙したのを思い出し、再読しました。
とっつきにくいですが、
明治の青春群像を描いた『春』も読み始めると結構面白いものです。

今回、私が一番おもしろかったのは、漢字の使い方とルビ。
あの頃は、もっと自在に使っていたのですね。
例えば、

 平常(ふだん) 嘲弄(からかい) 慰撫る(いたわる)
 多忙しい(いそがしい) 瀟洒(さっぱり)とした
 真実(ほんと) 強健(すこやか) 一層(ひとしお)

こんな感じです。なんとなく、
漢字とひらがなの両方が補い合って意味を強めているような、
漢字の硬さを日常語が和らげているような印象を受けませんか?

今度の取材記事は、藤村語を使って書いてみよう、
と今、小さな「藤村語辞典」を作っているところです。