薗田 光子さんが亡くなられました

18日、肝臓癌のため薗田光子さんが
旅立たれました。まもなく67歳でした。

にっちには雑誌の配送作業や手紙書き、
近隣の読者への手配りなど、
縁の下の仕事に徹して、
にっちを支えてくださいました。

2005年発行の34号で、
「阪神淡路大震災から10年」の特別対談を企画したとき、
東灘で被災された体験を語ってくださいました。

壊れた住まいの下敷きになり、
8時間後に救出されたとのことでした。
「年老いた両親の面倒を見るまでは死ねない」、
その一念だった、と語っていました。

座談会での薗田さんの言葉を拾ってみます。

 「私はね、この地震で、人生には無駄がないと痛切に感じました。
 これまで培ってきた人間関係とか、そういうのがすべて役に立ったんですね。
 逆に言えば、、これまでの人生は地震のためにあったんじゃないか、
 と思えるほど、多くの人に助けられました」

そして、「やっぱり、生きているんじゃなくて、生かされているっていうのを、
凄く感じました」と被災者5人の特別対談を結んでいます。

薗田さんは両親を最期まで看取り、1年余りの闘病の末、旅立ちました。

ご冥福をお祈りします。

 にっち倶楽部スタッフ一同