春から夏にかけて土曜日の午後9時から某テレビで、沖縄のある離島で、小学生がいなくなり廃校になる小学校存続のために、都会から子どもを養子として連れてくるドラマが放送されていた。
毎回鮮やかに輝く木々や草や原色の花とその背景に広がる透きとおるエメラルドグリーンの海がとても美しい。ドラマは、養子として連れてこられた子どもを中心に、島の人達が素朴にとても人間的に結びつく様子を描いている。
この離島を、高齢化が進み子どもがいなくなった地域や現状では将来そうなることが予測される地域(千里ニュータウンの戸建地区など)に置き換えることは想像に難くない。
この離島の人々は、小学校という施設が島の生活が将来も存続すると保証してくれると信じている。だから小学校が無くなれば、島の将来は無くなる。
高齢化の進んだ地域でも、今は高齢者向けの施設は辛うじてあるが、何れ行政はその地域を見捨て、行政サービスを切り捨てていく。そして最後に、その地域では暮らすことが出来ず、人々はその地域を離れざるを得なくなる。
高齢化が進んだ地域を存続させるためには、このドラマのように地域の将来を保証する子どもたちを呼び寄せる必要があるのだろう。 この離島を、高齢化が進み子どもがいなくなった地域や現状では将来そうなることが予測される地域(千里ニュータウンの戸建地区など)に置き換えることは想像に難くない。
この離島の人々は、小学校という施設が島の生活が将来も存続すると保証してくれると信じている。だから小学校が無くなれば、島の将来は無くなる。
高齢化の進んだ地域でも、今は高齢者向けの施設は辛うじてあるが、何れ行政はその地域を見捨て、行政サービスを切り捨てていく。そして最後に、その地域では暮らすことが出来ず、人々はその地域を離れざるを得なくなる。
高齢化が進んだ地域を存続させるためには、このドラマのように地域の将来を保証する子どもたちを呼び寄せる必要があるのだろう。
しかし、厳密に離島と千里ニュータウンを比較するならば、交通や情報の点で明らかな前提の違いがある。それでもなお両者が同じ道を進みつつあるのはなぜか?それについて考えられるきっかけを、これから始まる大阪大学CSCDで行う『まちのポテンシャルを知る』WSで掴めるかもしれない。