無心は心に何も無いようにするのではなく、無限に産み出す本来の心の状態。
無我夢中と同様と考える。
無限に働いているので、当然、考えたり、他所を見たりなど雑念を働かせることができず、
無心のとき、自分からみると、自分の心が無くなっているようにみえる。
無い状態が、無限の状態と等しい。
一見矛盾していて面白い。
「無い」とはどういう意味か。
「有る」とはどういう意味か。
一視点からみると、本質を見失う。全てを含めて観る必要がある。
陰陽からすると、
何かに焦点を絞るということは、その焦点以外に変化が起こしたことと同じこと。
人は否定を実行できない。その対極である推定のみで「無心」という否定を作り出している。
初歩として、心を整えるには、その表現である身体の姿勢を整えること。
これは上の説明と同じことを述べている。
自分の中にあるように見える心に焦点を絞ると、
本来の心の状態を失うことになる。
心はどこに有るだろうか。
心をどこに置くかは自在である。