技をかける場合、合気道では掴まれている状態から始まる事が多い。
しかも掴まれる箇所は「手首」である。
これは、実践・実際からはかけ離れており、非実践的である。
実際、喧嘩するのにまず相手の手首を掴む人はいない。
では、なぜ手首を掴むのか。
技をかける側からみると、
手首は力みやすい。
言い換えると、
心の不自然さ(△)が最も大きく(増幅されて)現れる箇所となる。
なぜならば、身体の中心から離れているからだ。
逆に、身体の中心近くで技をかけるほうがかけやすい。
これは相手を自分の懐に入れること、懐が深いこととつながってくる。
また、離れている方が安全。
身体の中心からの距離と技の難しさと身の安全は比例する。
一方、腕を掴む側からみると、
手首を掴むことで相手から離れており相手を怪我させにくく、力を入れても安全に稽古ができる。
よって、遠慮なく力を入れて抵抗できる。(稽古で怪我をすることは本末転倒)
力を入れられ抵抗されるので技をかける側からみると、
相手は十分に力を入れてくれるので、自分の力みの状態が良く分かるので、
初歩の稽古として易しく始められる。
技をかける側にとって、
・技の難易度が高い。
・初歩の媒体である触覚を使う。
・稽古が安全である。
・自分の力みの状態が良く分かる。
・安全な位置で技をかける稽古ができる
・実際の間合いに近い。
技を受ける側にとっても、
・力を遠慮なく入れられる。
・掴み方により、難易度をコントロールできる。
・稽古が安全である。
であり、両者に利がある。
形の上ではこの稽古は非実践であるが、内容は実践的である。
これは型稽古の重要な必要条件である。
なぜならば、刀で人を切る稽古で人を切ることができないからだ。
人を切る稽古を、どうやって人を切らずに稽古できるのか。
上の説明はそれを示唆している。
よって、
手首を掴まれた稽古は、自分の身から離れた安全な場所で、
技の難易度高く稽古ができるので、稽古として最適である。
その型稽古は、
実践に向けた非実践的なものとなっているだろうか。