青い鳥と偶像

剛柔流
どの段階でも言えるが、
技を身体の動きで実行しようとしても、技(□)にはならない
理由は、身体の動きに意識が囚われているため

方法により、意識配置が異なる。

剛は、接触点からなるべく遠い身体の中に意識を配置
柔は、目線上に意識を配置
流は、周囲の空間1点に意識を配置

それぞれの方法は、意識配置により区別されるので、
自分の身体操作に意識が囚われてしまうと、
どの方法でも「□」はできなくなる。

技をかけるとき操作するのは身体ではなく意識。
意識が原因で、身体の動きは結果。
普通は身体の動きで技ができていると考えている人が多いので、
技がかかったときの原因を身体の動きと解釈してしまう。

これは見つけたら消えてしまう青い鳥と同じ現象で、
せっかく技ができても、解釈が間違っていると再現しなくなる。
これを間違えやすいので気をつける必要がある。

ただ初心の人に説明する場合は身体の動きで説明する。
その方が納得し信じてもらえる。
それは偶像崇拝と同じ方法。
形を設定することで信じる段階に入れる。

しかし、その上にいくためには、
その偶像は偶像であり存在しないことを理解する必要がある。