心の制御方法を考える。
まず、
心を下記2つに分けて定義する。
1.感情
2.意識
1.感情
心の感情の起こりは、
素質(四魂)やその時の意識配置によって強調されて積み上げてできた
反射的反応にすぎず、実際にはない(結果)。
この感情自体を直接制御しようとしても難しい。
受動的。
2.意識
意識は感情と異なり、そのとき意識する場所を制御しやすい(原因)。
技(方法)である剛・柔・流はその意識する場所を任意に配置させること。
能動的。
稽古での意識配置は、
剛は、身体の内部、臍下丹田
柔は、目線上で身体の外、目的地
流は、聞き耳を立てる身体周辺、場の意識
面白いのは、意識と身体の距離が離れるほど、自分から発信された感情の起伏が小さくなること。
試しに、心の衝動が起こったときに、
この剛柔流の意識配置を試してみると心の反射的反応の程度が変化することがわかる。
剛よりも柔、柔よりも流の方が自分に対する依存がなくなり感情も落ち着く。
順に説明すると、
剛の状態で臍下丹田を意識していると身体の刺激に対して受ける体制となり、物事に動じにくくなる。
さらに、
柔の状態は、目線より自分の目的に意識が集中するため身体の外に意識が出て、自分の身体から離れる。剛よりもさらに感情の起伏がなくなる。
しかし、これはまだ自分のやりたいこと(目的)をみているため、まだ依存している。
さらに、
流の状態は、周囲に気を配っている状態より、自分より他人のことを重んじている状態となり、柔よりも自分を忘れている状態(無我)になっている。
つまり心(感情)の制御は、意識配置で可能といえる。
とすると、
上達とは、剛柔流の意識配置を任意にできること
とも表現できる。
さらに進めて、
心をこのように二分して考えると、
意識は、原因であり自分本来(実)
感情は、結果(虚=現実)
といえ、
心は原因と結果が共存する入れものといえる。
よって、
よく区別できるように稽古する必要がある。