Q & A ☆1)パレスチナ難民はどうやって生活しているの? <9.18アンケートより>

EARTH VISIONスタッフ うづです。

さて、大盛況だった先月の上映イベント
「爆撃の下の子どもたち」では、
参加者の方々から、
アンケートに多くのご質問をいただきました。

そのさまざまなご質問と、
共催のパレスチナ子どものキャンペーン からの回答をご紹介します。
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【Q1】 パレスチナ難民はどうやって生活しているのか?

【A1】
<レバノンでは>
レバノンでは、パレスチナ人には市民権がなく、70種類以上の職種に就くことが禁じられていて、つまりはほとんどの職業には就けません。会社などに就職するためにも特別な労働許可が必要とされ、手続きも煩雑で費用もかなりかかるため、ほとんどの雇用主は、あえてパレスチナ人を採用することをしないのが実情で、正規に雇用されているパレスチナ人の数は非常に少ないのです。一方で、公的なサービスや社会保障を受けることが認められていません。その結果、難民となってレバノンに住むようになって60年近くが経過していますが、レバノンのパレスチナ難民は、周辺国の難民と比べて最も収入が低く、特別困窮世帯が半数を占めています。
専門職、例えば医師の場合などについても、たとえ大学の医学部を卒業したとしても、医師の組合に入ることが出来ないので、レバノンでは医師として働くことが出来ません(ただし難民キャンプのなかだけは可能)。そのため、専門知識を持った人たちは、機会を見つけて海外に移住してしまいます。また、レバノンではパレスチナ人が不動産を持つことは出来ないので、裕福であっても土地を所有できず、農業で生計を立てることも不可能です。
 基本的に多くの人々は、日雇い、季節労働者として生計を立てているか、もしくは難民キャンプのなかで、小さなお店や理髪店などパレスチナ人相手の商売を営んでいます。また、難民キャンプの小中学校やごみ収集などのサービスは国連が運営していますが、教員などの職員は全員パレスチナ人です。国連の職員は職種を問わず安定してほかに比べると非常に高給なので競争率も高く、コネ採用などのうわさもあとを絶たないという実情もあります。

<パレスチナ自治区(ガザとヨルダン川西岸)では>
 これらの地域は一応自治政府の管理下になっていますが、実際にはイスラエルの軍事占領下にあります。1967年以来続く軍事占領によって、パレスチナのインフラは発展せず、地場産業も十分に成長できませんでした。1993年のオスロ合意と和平の結果、短期的には海外からの投資もありましたが、和平が頓挫し2000年から再び反占領闘争が激化すると、経済成長は毎年マイナスとなり、人々の収入は急激に減っています。
この地域は元々がパレスチナの一部であり、先祖伝来この地域に住む人たちも多いのですが、その多くは農民や小さな自営業者です。
 一方、イスラエルの建国によって難民としてこの地域に逃れてきた人は、ガザで70%、西岸で40%を占めています。その多くが依然として難民キャンプに住んでいて、そのほとんどは土地や財産を失ったために、労働者として生計を立てています。かつてはイスラエル国内に出稼ぎをしたり、産油国などへも出かけていましたが、イスラエルが安全を理由に、パレスチナ人労働者を締め出し、産油国への出稼ぎも難しい現在、大多数の人たちが失業したり、難民キャンプ内での零細な商売をしています。
 自治政府が出来てからは、自治政府の職員や警察官になった人も多く、特に警官は一種の失業対策事業とされてきました。しかし、ハマース政権の成立(2006年春)によって、自治政府を支えていた欧米からの経済援助がストップし、公務員の給与は半年以上支払われていません。

こうした状況にあって、パレスチナ人たちは政治的にも社会的にも経済的にも厳しい状況におかれています。今年の夏レバノンは34日にわたってイスラエルの軍事侵攻を受け、多くの犠牲者と破壊が残されました。またガザでは軍事侵攻と封鎖が現在も続き、100万人以上が閉じ込められたまま、空爆などにさらされています。
ガザでもレバノンでも、イスラエル軍の攻撃による発電所が破壊によって、停電状態が続き、飲料水も不足し、ゴミ処理も行われないなど、人々は日常的にも苦しんでいます。レバノンの復興はなかなか進んでいないのが実情ですが、特にパレスチナ人は復興から取り残されています。