【Q 2】
映画「アルナの子どもたち」を観て。
パレスチナの中の過激派が無知な少年達を自爆テロに煽り立てているという話を
聞いたことがあります。ユダヤ人と仲良くする少年たちをあえて煽って、
自爆テロに駆り立てているようなことはないのでしょうか?
【A 2】
たしかに、自爆攻撃などを扇動し武器を与えるグループは存在します。しかし、こうした扇動が成り立つためには背景があるわけです。それは、軍事占領が40年近く続き、そのなかでパレスチナ人たちは政治的にも社会経済的にも権利を奪われ、基本的な人権さえも否定されているという状況です。1993年のオスロ合意で、人々はこうした軍事占領がなくなると信じたわけですが、それがことごとく裏切られたという思いを抱いています。自殺攻撃に関わった人たちの多くは、肉親など親しい人をイスラエル軍によって殺されたり、また直接的な暴力、いわれのない侮蔑や人権蹂躙を受けたなどの経験を持っているといわれます。「アルナの子どもたち」に出てくるユーセフという青年は、イスラエルの町で市民に発砲し、自らも射殺されましたが、その少し前に、ジェニンの小学校にイスラエルの戦車が発砲したとき、救出した女の子が自分の腕の中で息絶えるという経験を持っています。
昨年来日した監督は、こうした「テロリスト」とされた人たちにもかわいい子ども時代があり、事件には背景があることを、とりわけイスラエルの国内に伝えたかったといっていました。こうした行為は決して褒められることではありませんが、事件だけを見て人間を見ないようにしているだけでは何も解決しないからです。
映画に出てくる子どものなかで、いわゆる「テロ」に関わったのはこのユーセフだけです。他の子どもたちの多くも、イスラエル軍と闘って殺されていますが、それは難民キャンプに侵攻した軍隊に対して武器を取っただけで、昔風に言えば「レジスタンス」のようなものでしょう。パレスチナの中でも、特に難民キャンプの人々は気性も荒いですが、義理と人情の世界に生きているのです。特にこの舞台になっている2002年の大侵攻では、イスラエル軍は12日間難民キャンプを包囲し、キャンプの500軒の民家が破壊され、老人や障害者などが犠牲になりました。若者たちは当然の義務として自警団のメンバーになり武器を取ったと理解したほうが良いかと思います。監督は、演劇グループの子どもたちが、その活動の中でキャンプのリーダーとして成長し、それだけに、こうした事態を黙視することは出来なかったのだといっていました。もちろん、全体から見れば武器を取る道を選択せず、救急隊員などになった若者のほうが圧倒的に多数です。
もう一つ私たちが気づかないことがあります。日本では政治は生活と切り離され、政治に注意を払わなくても一通りの生活は出来るという雰囲気ですね。ところが、パレスチナのような場所では、政治的な変化が日常生活に直結します。どこかで事件が起きれば、自分の町に戦車が入ってくる、爆撃が始まる。それも米国など別の地域の事件でも影響されることが多いので、人々は政治にとても敏感です。そのうえ、軍事占領下に生きているということは、日々の生活が圧迫されていますから、政治と生活は切り離せないのです。人間らしく生活したいと思ったり、自分の意見を言いたければ、政治の壁にぶつかってしまいます。たとえば学校や職場、医療機関などに行く自由という最低限の基本的な人権を求めるだけで、占領軍の検問、道路封鎖、外出禁止令などが立ちふさがります。そうしたなかで生きている人たちにとって、日常生活は政治(の結果)そのものです。ですから、誰かが扇動しなくても、そこに生きる人にとっては生きるためには占領や人権といったことは特別なことではなく日常のテーマなのです。
パレスチナ自治区のほとんどの地域でひどい被害と犠牲を出した2002年のイスラエル軍の大侵攻の数ヶ月後に、パレスチナの子どもたちを対象として実施した聞き取り調査では、半数以上の子どもが実際的な暴力の被害を身近で受けているにもかかわらず、7割の子どもたちが自分たちの努力で将来が良くなり、平和手段による解決を信じているという結果が出ました。パレスチナ人の平和思考と子どもたちの前向きさには驚くばかりです。