ホステス代わりにされたフィリピン人介護士
どこへ行く、外国人介護士・看護師−上
2009年5月29日 金曜日
著者:出井 康博
出典:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090526/195767/?P=1
約1年前の2008年5月22日、東京・築地の国立がんセンターに介護施設の関係者が押し寄せていた。同年8月上旬に迫ったインドネシア人介護士などの受け入れを前に、厚生労働省傘下の社団法人「国際厚生事業団」(JICWELS)の主催で説明会が開かれたのだ。
5月ながら気温30度という暑さの中、会場には定員を超える300人以上が集まり、立ち見が出るほどの盛況だった。介護現場では人手不足が深刻化していた。そこに政府が外国人介護士などの受け入れを決めたことで、彼らに“救世主”を期待する声が高まった。
あれから1年——。関係者の熱気はすっかり冷めてしまっている。
現場は人手不足、でも外国人介護士は嫌われる
インドネシアからの介護士などの受け入れは、日本が同国と結んだ経済連携協定(EPA)に基づくものだ。当初の2年間で600人の介護士に加え、400人の看護師の受け入れが決まっていた。
その第1陣として、昨年8月、介護士300人と看護師200人が来日する予定だった。しかし、日本の施設や病院に受け入れられた介護士と看護師の人数は、いずれも定数を下回り、介護士に至ってはわずか104人に留まった。介護施設が受け入れに二の足を踏んだのが原因だ。
日本はフィリピン政府との間でも、EPAの枠組みでインドネシア人と同数のフィリピン人介護士と看護師を受け入れることで合意している。
今年5月10日には、インドネシアから9カ月遅れてフィリピン人の受け入れが始まったが、その数は介護士が188人、看護師が92人。インドネシア人と同様に、定数を大きく割り込んだ。
その原因は、外国人介護士・看護師を受け入れたいと手を挙げる日本の施設が昨年同様に、少ないからだ。このままでは、両国と取り決めた2年間での受け入れ数が達成できそうにない状況だ。
昨年秋から急速に進んだ不況によって失業者が急増した。それでも介護現場の人手不足は解消していない。有効求人倍率は今年3月時点で0.52倍まで落ち込む中、介護関連職に限っては1.73倍に達している。
日本人の働き手がいないのだから、外国人に頼ろうとする施設がもっとあっても不思議ではない。にもかかわらず、なぜ外国人介護士は嫌われたのか。
行政が作る障壁
外国人介護士の受け入れが、官僚機構の利権になっていることは、本コラムの1月29日付の記事で書いた。斡旋を独占するJICWELSは、手数料や管理費など外国人1人につき約16万円の収入を得る。半年間の日本語研修を担うのは、経済産業省や外務省の関連機関だ。いずれも官僚の天下り先になっている機関である。
受け入れには初年度だけで20億円近い税金が使われる。もちろん、税金が天下り先に流れようとも、受け入れが現場にとって有益ならば問題はない。だが、施設側にとってのメリットはあまりに乏しい。
施設が負担する費用は1人の受け入れにつき、JICWELSへ支払う手数料や日本語研修費で60万円近くに上る。しかも半年ほどの日本語を勉強するだけでは、現場の即戦力にはならない。それでも給与は日本人と同等に支払う必要がある。
また、外国人介護士は日本で仕事を始めてから3年後、介護福祉士の国家試験を日本語で受け、一発で合格しなければ母国へと戻されてしまう。介護福祉士の試験は、日本人でも2人に1人が不合格になる難関だ。外国人が仕事の合間に勉強して合格できるようなものではない。
受け入れ施設としては、せっかく一人前に育てた人材を短期間で失ってしまう。これでは施設のみならず、外国人介護士からサービスを受ける利用者のためにもならない。
それにしても、なぜこの時期に「外国人介護士」の受け入れだったのか。
小泉チルドレンの介護士たち
EPAで来日する外国人介護士たちは“小泉チルドレン”と呼べる存在だ。
彼らの受け入れは、自民党が「郵政選挙」で大勝した翌年の2006年秋、小泉純一郎首相(当時)とアロヨ・フィリピン大統領がEPAに合意し決まった。そして翌2007年、安倍晋三政権(当時)の下、インドネシアとの間で同じく介護士らの受け入れを含むEPAが締結される。
ただし、政府にはビジョンなどまるでなかった。EPAで他案件の交渉を有利に進めようと、フィリピン側が求めた介護士受け入れを認めただけなのだ。
2005年以降、日本はフィリピン人ホステスに対する興行ビザの発給を事実上停止した。米国から「人身売買の温床」との批判が出たからだ。その結果、年に10万人近く来日していたフィリピン人女性が出稼ぎの手段を失った。
出稼ぎの送金に依存するフィリピン経済にとっても影響は大きい。つまり、介護士の受け入れには、来日を制限したホステスの“代わり”という意味もあった。
介護行政を統括する厚労省にとっては寝耳に水である。同省は外国人労働者の導入に消極的だ。何とか彼らの就労長期化を阻止したい。
そこで国家試験合格といった実質不可能な条件を設ける一方、JICWELSを通しての利権確保も図った。介護現場の状況などはなから関係なく、国家としての戦略もあったものではない。
採用するにも集団面接しか許さない行政
こうした事情が施設側に伝わって、一時は盛り上がった外国人介護士への期待も急速にしぼんでいく。そんな中、大阪府池田市の社会福祉法人「池田さつき会」では、4人のフィリピン人介護士の受け入れを決めた。その理由を村上隆一事務長はこう話す。
「将来に向けた先行投資です。介護の現場は、やがて外国人の方に頼らざるを得なくなる。早くから受け入れ、経験と実績を積んでおきたかった」
池田さつき会は、決して安易に外国人介護士に頼ろうとしているわけではない。今年4月には新卒者30人の採用を試みたが、集まったのは17人だった。
中途採用で補おうと、ハローワークから30人の求職者を紹介してもらったが、採用に至ったのは2人に過ぎない。行政は“派遣切り”された失業者を介護現場に送り込もうとしているが、介護の仕事は日本人なら誰でもできるというわけではないのだ。
もちろん、4人ものフィリピン人を採用するのは大きな決断だ。日本に送り出す介護士の選考は相手国側に委ねられ、日本語能力も来日の条件になっていない。事前の顔合わせも、JICWELSは簡単な集団面接しか許さない。施設にとっては、優秀な人材に当たるかどうかは運頼みである。
だが、池田さつき会の場合、候補者と個別に面接を重ねていた。しかも皆、1年以上にわたって日本語を学んできた人材である。なぜ、同会に限ってそんなことが可能だったのだろうか。(次回に続く)