【記事転載】どこへ行く、外国人介護士・看護師−下

優秀なフィリピン人看護師が来日できない
どこへ行く、外国人介護士・看護師−下
2009年6月5日 金曜日
著者:出井 康博
出典:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090602/196464/?P=1

 日本政府はインドネシアとフィリピンの両国政府と経済連携協定(EPA)に基づいて、両国からそれぞれ2年間で合計600人の介護士と、400人の看護師を受け入れることを決めた。昨年8月にはインドネシアから第1陣が来日し、今年5月にはフィリピンからの受け入れも始まった。
 介護や看護の現場は不況にもかかわらず、有効求人倍率は1倍を上回る人手不足の状況だ。にもかかわらず、介護施設などではEPAに基づいて来日した外国人の受け入れに、二の足を踏むところが多い。
 彼らを受け入れるには、半年間の日本語研修費用の負担や、事前に候補者と個別に面接をすることが許されないといった制約があるからだ。こうした状況の中で、優秀な外国人介護士を積極的に受け入れようとしている施設がある。大阪府池田市にある社会福祉法人「池田さつき会」だ。

4人の来日と日本人ビジネスマン
 同会は今年、4人のフィリピン人介護士の受け入れを決めた。4人は皆、1年以上にわたって日本語を勉強し、さらに日本式の介護の研修も受けてきた者ばかりだ。同会は候補者と面接も重ねていた。
 EPAによる外国人介護士らの受け入れでは、日本語能力は来日条件になっていない。来日後に半年間、日本語研修を受けるだけで就労が始まる。事前の面接も許されないはずだが、なぜ池田さつき会には可能だったのか。それは現地で日本に派遣する介護士の養成に取り組んでいる日本人ビジネスマンとのコネクションが、池田さつき会にはあったからだ。
 その日本人ビジネスマンは、介護関連の支援サービスなどを手がけるN.T.トータルケア(本社・大阪市)の高橋信行社長だ。高橋社長はフィリピンで長年、電子部品工場を経営するかたわら、かつて米軍基地があったことで知られるスービックに2005年、日本人高齢者向けの長期滞在施設「トロピカル・パラダイス・ヴィレッジ(TPV)」を開設する。
 TPVを訪れる日本人高齢者への介護を通じ、日本へと派遣するフィリピン人介護士を養成するためだ。年によっては10倍を超す応募者を高橋氏自身が面接し、毎年20人程度を採用する。そして日本語研修を施した後、TPVに配属。給料を支払い、研修を積んでもらう。その扱いは、まさに“金の卵”である。

使い捨てを恐れ看護師資格者の派遣に二の足踏む
 ただTPVから日本へのフィリピン人介護士らの派遣は、スムーズには進まなかった。当初、早ければ2007年秋と見られた送り出しの開始は、フィリピン上院がEPAの批准を拒否したことで遅れた。その結果、多くの人材が高橋氏の下から去っていった。中には、日本行きをあきらめ、条件の良い米国やカナダに行った人も少なくない。
 ようやく日本側の受け入れが実現したことで、高橋氏はTPVに残った介護士の中から、22人を日本に派遣することを決めた。その手順としてEPAのスキームでは、送り出し実務を担うフィリピン海外雇用庁(POEA)の審査を経なければならない。
 そこで落とし穴が待っていた。22人のうち、15人が書類審査で落ちてしまったのだ。15人の中には、来日していれば日本語研修が免除された日本語能力試験2級の合格者も含まれていた。さらに驚くべきは、落選した人材が皆、看護師の有資格者だったことだ。フィリピン政府はなぜ能力のある人材の派遣を拒んだのか。
 N.T.トータルケアの高橋氏は言う。
 「フィリピン看護協会などは、自国の看護師が介護士として日本に行き、短期間で使い捨てられることを懸念しています。その意向を受けたPOEAが、看護師資格を持って介護士に応募してきた人を除外してしまった」
 フィリピンでは、看護師のステータスは日本にも増して高い。賃金の高い欧米諸国で仕事に就けるチャンスも多く、優秀な人材が集う職種となっている。こうした事情に鑑み日本側も、看護大学の卒業者が介護士として入国することを認めた。高橋氏も看護師の資格を持った人を優先的にTPVで採用してきたが、それが裏目に出てしまった。

短期出稼ぎ目的の介護士がいる場合もある
 結局、当初予定していた22人中7人しか来日は認められなかった。7人は看護師の資格を持っていないが、4年生の大学を卒業し、介護士の資格を持っている。EPAによるフィリピン人介護士の受け入れ条件は、看護大学の卒業生か、4年生大学卒の介護士資格保有者のいずれかになっているためだ。ただ、フィリピンの場合、介護士の資格は半年ほどで取得でき、ステータスも看護師よりもずっと低い。
 EPAで受け入れる外国人介護士は、入国から4年以内に介護福祉士の国家試験に合格しなければ帰国しなければならない。来日したフィリピン人介護士は、平均年齢が30代半ばで、過去に海外でメイドなどとして就労した経験のある人も多く含まれる。日本で真剣に国家試験合格を目指すというより、短期の出稼ぎ感覚で来日する介護士が多いのではないか、と高橋氏は見る。こうした中で日本の施設が意欲のあるフィリピン人介護士を雇うには、フィリピンでの実績や来日目的を面接などで十分に確かめる機会が必要だ。
 だが、EPAのスキームでは、日本の施設側が人物を見極める機会は極めて限られている。昨年のインドネシア人介護士の受け入れでは、施設と候補者の顔合わせは事前に一切許されず、匿名データを基に就労先と採用希望者を選び合った。
 今回のフィリピン人に関しては、集団面接が実施され、互いの名前やプロフィルも公開された。だが、簡単な集団面接程度では、個人の資質まで判断することは難しい。池田さつき会も集団面接には参加せず、高橋氏の人材と別途個人面接を行ない、POEAの審査を通った7人から4人を採用したのである。
 池田さつき会の村上隆一事務長は、「高橋さんとの関係がなければ、今回の受け入れはなかった」と話す。プロフィルや簡単な集団面接だけで外国人介護士を採用するなど、施設にとってはあまりにリスクが大きいのだ。

悪質ブローカーが介在する可能性も
 池田さつき会は、高橋氏の会社に対し、毎月決まった手数料を支払う。他のフィリピン人介護士を受け入れる以上にコストはかかるが、人材の質を優先した。ただし、このシステムには、悪質なブローカーが介在してしまう可能性がある。
 ブローカーが前もって施設と話をつけておけば、自ら抱える人材をEPAのスキームで日本に送り込むことができる。そこに悪質なブローカーが目をつければどうなるか。
 例えば、日本でホステスとして働いた経験のあるようなフィリピン人女性に母国で介護士の資格を取らせる。前述したようにフィリピンで介護士の資格は、半年ほどの講習を受ければ簡単に手に入る。そしてPOEAを通じ日本へと派遣した後、受け入れ施設から失踪させ、よりカネの稼げる夜の仕事を斡旋する。
 2005年以降、日本が「興行ビザ」の発給を実質的に止めたことで、フィリピンにはホステス派遣の仕事を失ったブローカーが溢れている。そうした連中が、EPAを悪用しないとも限らない。事実、高橋氏の会社のウェブサイトからフィリピン人介護士の写真を無断で使い、施設に人材の売り込みに来るようなブローカーも出始めている。
 では、どうすれば日本と送り出し国双方が満足するスキームができるのか。

20億円の費用を半減することも可能に
 まず求められるのは、日本政府のイニシアティブだ。政府が先頭に立ち、派遣国の看護学校などと提携し、日本へと送り出す介護士や看護師の養成コースを設立する。つまり、高橋氏の取り組んできたプロジェクトを国家レベルで実行するのだ。
 そこで日本語に加え、日本式の介護や看護の研修も行う。その後、一定のレベルに達した人材を施設が面接し、採用が決まれば入国を許可する。日本側による人材育成は、送り出す国にとっても望ましい。
 研修にかかる費用は日本政府が負担する。介護士らの受け入れでは、初年度だけで20億円近い税金が使われた。だが、高橋氏によれば「現地で教育すれば、日本から日本語教師を派遣しても、半分以下の費用で同程度以上の研修が可能」だという。日本語能力を身につけて来日すれば、即戦力として仕事ができるし、国家試験合格への関門を1つクリアできる。
 だが、そのためには日本側の“意志統一”が不可欠だ。介護現場には外国人介護士への期待は高いが、厚労省は「受け入れは人手不足解消のためではない」とのスタンスを崩していない。本来は官民一体となって取り組むべき国家プロジェクトが、呉越同舟の状態ではうまくいかないのも当然だ。
 今後、少子高齢化はさらに進んでいく。それでも介護現場は、あくまで日本人だけで支えていくのか。それとも、外国人介護士の力が必要なのか。外国人を入れるなら、どれだけの人を、どういった資格で入国させるのか。そして、どうすれば優秀な人材が集められるのか——。
 外国人介護士の受け入れは、そうした根本的な議論もなしに始まった。その結果、喜んでいるのは、人材の斡旋や日本語研修の利権を得た官僚機構だけなのである。