今月と来月は、『多文化(多文化共生センター東京)』の
子どもプロジェクトの卒業生で、現在大学2年生の
張 学鑫(ちょう がくしん)くんにお話を伺います。(聞き手は杉田です。)
——日本に来たのはいつぐらいですか?
「中2の12月ごろに日本の中学校に編入しました。
最初の頃は何も分からなかったので、中学校の何人かの先生と1対1で
ひらがなから教えてもらいました。」
——中学校の授業はどうでしたか?
「中学校に区役所から中国人の先生が10年ぐらい前から派遣されていて、
週に1回、2時間の日本語の授業がありました。
中学校全体で7人ぐらい中国人がいたので、一緒に授業を受けていました。
(教科の中では)国語が難しかったですね。
日本の漢字は中国語と似ていますが、意味が違うことが多くて戸惑いました。
でも特に体育の授業がひどかったです。先生の言ってる意味が分からなくて。
泳げなかったのにプールに無理やり『入れ』と言われて、バタ足からやり、
ビート板を渡されて、『泳げ』と言われました。
体育の先生はいい人だったけれど、厳しい人でした。
英語の授業は中国でもやってたけど、『日本語で訳を書きなさい』という
問題が解けなかったです。
数学の授業は中国と変わらないし、若干簡単だけれど、『証明』の問題などは
難しかったです。」
——何か部活に入っていましたか?
「火曜と木曜の放課後は区役所の日本語教室に2時間ぐらいずつ
行っていましたが、それ以外の日は部活をやっていたので、放課後は
忙しかったです。
囲碁・将棋部に入っていて、碁を打つと夜7時ぐらいまでやっていました。
理科の先生が顧問で、たしか囲碁の初段を持っていたと思います。
でもすごい部員がいて、中1で囲碁の7段を持っていました。
彼は当時からNHK杯のテレビに出ていましたよ。
囲碁・将棋部だから将棋もあったんですが、もちろん日本の将棋でした。
中国の将棋の駒はなかったんですが、先生がわざわざ買ってきてくれたので、
先生に中国の将棋を教えました。僕以外にも中国籍の部員がいました。
みんなで先生と対戦もしました。」
——先生はどうでしたか?
「日本語の授業以外にもいろいろな先生たちが空いてる時間に日本語を教えて
くれました。
また、学校でもらった書類の内容が分からなくて、家に置きっぱなしだった
ことがあって、友達に言われて、初めて書類を何ヶ月も出していない
ことに気がついたんですが、担任の先生に持って行ったら普通に受け取って
くれました。
一番印象に残っているのが卒業式の日で、卒業式の予行練習でステージに
上がるときに担任の先生が中国の発音で僕の名前を呼んでくれたんです。
発音が難しくて『普通に日本語でいいですよ』と先生に言ったので、
本番は日本語でしたが、気を使ってくれたことは嬉しかったです。
それに、国語の先生が中国語で祝いの言葉(卒業おめでとう)を
書いてくれました。わざわざ中国語を勉強してくれたらしいです。
他の先生も励ましの言葉を書いてくれました。」
——クラスメートはどうでしたか?
「中学生のころ、クラスメートからからかわれ、ちょっとけんかになりそうに
なったこともあったんですが、つい最近そのクラスメートと再会し、
『おう、お前懐かしいじゃないか』と言われたんです。
本当はいいやつなんだな、と思いました。
中3のとき、球技大会でサッカーがあり、『お前センターバックやってよ』
と言われ、試合に出してもらえたんです。試合に出られない人もいるのに、
『(ベンチではなく)おれが試合に出れるんだ。』とうれしくなりました。
あと、僕はクラスでは悪く思われていると思っていたんですが、卒業した日に
アルバムにみんなから一言ずつ書いてもらって、ちょっと感動しました。
本当は悪く思っていたわけじゃないことが分かりました。
もっと積極的にコミュニケーションをとっていたらよかったと思います。
日本人が何を考えているのか全然分からなかった。言葉が違いますから。」
——『多文化』に来たのはいつぐらいですか?
「今から5年前の中3の夏ごろに来ました。
中学校の国語の先生が帰国者に詳しい人で、『多文化』のことを調べてくれて、
ガイダンスの日にちょうど中学校の囲碁・将棋部の試合があったので、
僕の母親が『多文化』のガイダンスに行きました。
ガイダンスの後、(当時『多文化』の事務所があった)蔵前に行って、
最初に数学のレベル分けテストを受けて、日本語のテストも受けたかな。
土曜日の授業以外に金曜日の夜も『多文化』に参加していました。
『多文化』の授業は日本語が中心で、数学と英語もやっていました。
最初はやっぱり難しかったです。
今と違って、学生が机を囲んでみんなでやっていました。
そのときはボランティアの先生がメインかな。生徒は今の子たちより
まじめにやってたかな。みんな大人しかったかもしれない。」
——高校入試はどうでしたか?
「僕の場合は面接だけで受かりました。
面接の後、家に帰って、とても心配でした。
担任の先生に電話したら、『大丈夫だから家で待ってて』と言われました。
2週間後に結果を見に行ったら、僕の受験番号があったから、
最初はうれしかったんですが、帰り道に急に心配になったんです。
中学校に行って先生に報告する前に、クラスメートに会って、
『どうだった?』って聞かれて、『受かった』と答えると、
みんなうれしそうに『よかったじゃん』と言ってくれました。
学校で先生に報告して、『よかったね』と言われて、やっと落ち着きました。
それから徐々に実感が沸いてきました。
僕の受けた工業高校の評判はあまり良くなかったんですが、
先生は『そんなの関係ないよ』と言ってくれました。
『ちゃんと勉強すれば問題ない』って。実際に高校に入ったら、
以前より良くなっていたらしく、不良もいなかったです。」
・次回は高校生活やボランティア活動などについてのインタビューをお届け
します。お楽しみに!