Nプロジェクト実行委員会事務局の中平です。さて、先日長野県地方新聞である信濃毎日新聞にながのアートプロジェクト関連の記事が掲載されたことを紹介しました。その情報に対して、さまざまな立場の方々から応援メッセージをいただきましたので紹介します。
「記事を見て
・「とがびプロジェクト」は、とうとう小中5つまで広がっていったなあと驚き
・文中の生徒の言葉が大事。
「教室をお菓子でいっぱいに」「来場者が空を飛んでいるような感覚になってほしい」などのアイデアが出た
とあります。まだ、生徒はおぼろげなイメージだけでしょう。「とがびプロジェクト」は、このアイデアをもとに、これから作家といっしょに組み立てていくのでしょう
作家であれば、お菓子でいっぱいにする方法をいくつも思い浮かべられるし、来場者が空を飛ぶ感覚のいくつかを想像できるでしょう。それを手がかりに、生徒は自分たちの思いを実現していくのだろうと思います。イメージから意味が生まれて、もっと深まるかもしれません。
この生徒と大人の関係が重要なように思います。固定的な存在としての大人と子どもではなく、お互いがお互いを構成し合うような関係で、そこから新しい何かと新しい私が生まれるというまさに造形遊びの概念のように思います。
ここでの大人のできること、あるいは大人の存在は、大人のこれまでの経験、私たち自身に組み込まれた歴史などから派生したもので、子どものイメージを具現化するための辞書、材料、資源など、つまりは、歴史や文化などの結節点のように思います。いわば「閉じた大人」ではなく「開かれた大人」。
楽しみですね。続報を楽しみにしています。」
またある方は・・・・・・
「BCCで送らせていただいたメールに対し、全員に返送していただいてとても感謝してい
ます。通常、さらっと流れてしまうメールですが、考えるきっかけになりました。
何度も下記の文章を読ませていただいて、今回のアートプロジェクトがその話題性だ
けで捉えられてしまうと、アートプロジェクトを通して生徒が何を感じ、何を学び、
どう変化していったのかという学びの本質を抜きに、アートプロジェクトだけが一人
歩きしてしまうような危険性を感じました。それは、かつて造形遊びが理解されなかっ
たように、作品を見て子どもを見ない現象。その行き着く先は、教師のためのアート
プロジェクトになってしまうのではないかということです。この現象は特に表面的に
模倣されることから生まれます。
「とがび」を実際に見に行った私としては、準備段階から生徒が主体となって取り組
み、中平先生は、生徒への支援や、プロジェクトの地ならしをしながら裏方に徹して
いる姿が眼に浮かんできます。「とがび」は子どものためのアートプロジェクトだっ
たのです。
その結果、生徒が主体的にアートに接触し、自らを変えていった。私はこの、子ども
の変容(成長)を実感でき感動しました。それは生徒の口を突いて出てきた言葉だった
のです。
メールにも「文中の生徒の言葉が大事」とありますが、そのことなのでしょ
うね。
中平先生の取り組みは、私個人としては小学校と高校を繋ぐもの。図画工作と芸術を
繋ぐ(造形遊びと現代美術をつなぐ)取り組みのような気がしてなりません。発達の段
階を踏まえ、美術を理解させる素晴らしい取り組みだと思うのです。
今回の学習指導要領の改訂を見てみても、「生活や社会」という言葉が入ってきて、
生きるための美術、社会を形成していくための美術、そのための子どもを育てる美術
であるというメッセージが伝わってきます。
今まで学校の教室に閉じこめていた美術を、社会に解放していく中で、子どもたちに
アートの働きや、「美術することで生きていくこと」の意味を伝えているのではない
かと思います。
まさに今後が楽しみです。」