さくらびレポート148〜学校のアートプロジェクトは唯一「労働」なんだと思う

櫻ヶ岡中学校の中平です。最近思うことを描かせていただきます。

語弊を恐れずに言うと、学校の授業は生徒にとって労働ではないだろう。点数を上げるとか、受験のための駆け引きであって、何かを生み出すのではないだろう。
私は美術教師なので、美術の授業はどうだろうか、と考えると、やはり労働ではないと思う。授業時数が少なくなった現状は、ますます「間に合わせる」ための、「説明責任をはたすための」授業になっていると自分で振り返ると感じる。
しかし、アートプロジェクトは違った。生徒も私も、作家も、良い意味で「労働」であったと感じる。何かを生み出そうと無我夢中になるのだ。妻有アートトリエンナーレの総合ディレクターである北川フラム氏が言っている「協働」という言葉の意味が少しずつわかってきたような気がする。もしも、中学校美術教育の現場で、アートプロジェクトが行われなくなったら、学校の中の「労働」もなくなってしまうのだろう。この感覚、意味を、どんな言葉で「無関心」な人たちに伝えたらいいのかわからないが、アートプロジェクトをやらず、必修授業だけで(少ない時数の中で)この価値を実現することは、もはや不可能だと私は言いたい。ではどうやって、必修授業の中でアートプロジェクトを実現するのか、またはその代わりの活動をどうやって行うのか、それは私にもいまだにわからないのである。