櫻ヶ岡中学校の中平です。昨日から平成23年度がスタートしました。さくらびレポートも新に始まりました。心機一転更に中学生の美術を通した姿を発信していきたいと思います。
昨日は中学校の新任職員歓迎会が開かれました。新しく着任された先生方が何人も「学校中を美術館にしたんですね」「櫻ヶ岡中で検索するとすぐ出ますね」「夜の学校でイベントやってましたね」「ホクト文化ホールで新聞出てましたね」と、ながのアートプロジェクトのことを御存知でした。とっても嬉しいです。櫻ヶ岡中学校の美術的な活動が少しずつ注目されていることを実感しました。5年の年月は大きいです。
さて、毎日テレビやメディアは震災の悲惨な生の姿を伝えています。いまだ行方不明の方々や家族の数が日に日に増えていっています。支援や復旧が進めば進むほど、ますます不足しているものやマンパワーが明らかになっていく。テレビでは「日本がんばれ」「私たちはひとつ」「お互い助け合おう」と連呼している。
私や、美術部員たちは、震災を被ることはありませんでした。大きな揺れを3月11日に感じ恐怖感を抱きましたが、帰る家はありますし、家族も元気です。そんな「震災を被災していない私たち」にも心の震災ストレス?があり、美術表現で少し救われるのではないか、と感じることが有りました。今日はそれを書きます。
「苦しかった」
と尾目出鯛金屏風が完成したとき、実感を口にした生徒。私自身も「苦しかった」と思ったという記事は、31日のブログに書きました。
なぜ苦しかったんだろう、そして、なぜ休むまもなく、生徒たち、そして私はモチベーション高く作り続けることができたんだろう?と思いました。数日時間を置いて、その理由を考えていたところ、私個人の考えですが、仮説を立てました。それは、「被災地の瓦礫の山になっている映像、押し寄せる津波により街が一瞬で消える映像、何をやっても次から次へと壊れていく原発の映像・・・」それらを私たち非被災者?は、何気なく見たり聞いたりしているのではなく、どこか心にもやもやとした物を感じていたのです。それと平行してテレビで連呼される「がんばろう日本」などという「なにかしよう」とせかされる焦りや自分の無能感・・・・。それらがない交ぜとなっているのではないでしょうか。
そういった「何も出来ない自分」「壊れていくものを放置している自分」に対し、「擬似復旧体験」が部員全員で協力して完成運搬した「尾目出鯛金屏風」だったのではないか、と思うのです。
制作中、みんなで協力して作りました。立てたり動かせたりするだけで、釘が抜けたり、スリッパがはがれたりするので、そのつど補修しなければいけませんでした。頭や身体をフルに使って、完成させるその心の中には、どこか被災地の復旧と重なっていたように感じました。また、屏風も花環も「立てる」ことを伴うものです。この「立てる」ことこそ、新しい何かが立ち上がり、何かを成し遂げたという気持ちが実感できるのではないでしょうか。
震災を被災していない私たちも、今の現状に多かれ少なかれストレスは感じているでしょう。そのストレスをストレスと呼ぶか、表現衝動と呼ぶかは別として、擬似復旧体験となっており、少しでも抑えきれない自分の気持ちを昇華できたのではないかと感じています。アート表現活動は、奥が深く、社会の状況ともつながっているんだなあと実感しました。
使い方を間違わなければ、今後の被災地復興にアートは大きな可能性があると思います。
レポート一回目にしては重い話題になってしまいました。