さくらびレポート211:完成させろ!でも、完成させるな!

作品って、完成させることが目的でしょうか。

完成できたら嬉しいでしょうし、達成感や満足感はあるでしょう。生徒のアンケートでも「完成できて嬉しかった」という言葉は多いです。

しかし、こういうアンケートの答えはどう考えたら良いでしょうか。

「楽しかったが、自分のやりたいことを完全にできなかったので、もやもやした」

要約すると、「楽しかったが、モヤモヤが残った」「もやもやしたけど、楽しかった」

美術の時間は、美術を学ぶ時間である。その通りです。

でも、美術の時間すらも、生徒が「生きている時間」「生活している時間」であると考えたらどうでしょうか。

完成させることだけが目的であるならば、または、完成の満足感を味わうことだけがっ目的であるならば、授業の中身はプラモデルでも、人形作りでも、なんでも確実に完成して、しかも満足感が得られる確実な教材を扱えばよいのです。

しかし、美術を「生きている時間」「生活している時間」さらに「学びの時間」と考えるならば、もやもやが残ることも自然な生きる時間だと考えられないでしょうか。うまくいかないことこそ、程度によっては重要な学びになると思います。

したがって、私は生徒に「完成させろ。でも、完成させるな」と言っています。どこまでやったら自分は気持ちよくなるのか、自分はものたりなさを感じなくなるのか、自問自答することもよいのではないでしょうか。

美術を「生きている時間」「生活している時間」にしたいのです。独善的でしょうか?