ミーツアーツオープンカレッジ2詳細レポート

前日の土砂降りがようやく晴れて、危ぶまれていた同時開催の「灯明ウオッチング」も何とか予定通りに行なえそうという明るい希望をもって迎えた朝。第2回ミーツアーツ・オープンカレッジは講師に地中美術館の館長である秋元雄史さんをお迎えして開催した。第1部を秋元さんの講演、第2部を「秋元さんに一番聞いてみたい事」という質問に対して6つのグループにわかれて話し合いをしそれを発表するという流れだった。

第1部の秋元さんの講演は直島の人々とアートをどう結び付けていったか、アートの持っている力をどう地域に生かしていったかということを、ベネッセハウスの開始から「NAOSHIMA STANDARD2」に至るまでその変遷を通して非常に分りやすく説得力のあるもので受講生の皆さんはそれぞれの受け止め方で刺激を受けられた様子がうかがえた。

過疎化の進む直島で92年「直島コンテンポラリーミュージアム」を開館後「サイト・スペシフィック・ワークス(特定の場所で創られた作品)」を中心に展開していたが、同じ島の中で美術館と町の格差が何だか気持ち悪い状況だったところに古い一軒の空家をどうにかできないかという相談が持ち込まれたのがきっかけで98年に「家プロジェクト」が始まる。その古い民家を再生してアートにすることは住民が自分達の文化を再認識することになった。特に興味深かったのは再提示された作品を見て住民(お年寄り)が自分達の記憶を語ることによって集落の歴史や時間の積み重ねが見えてきて奥行が出たということだ。「家プロジェクト」はスローフードに近い形で時間と手間ををかけてそのよさや美しさを周辺の人々が再発見していく。そこで生まれたアーティストと住民の間の信頼関係や外から人が集落に訪れるようになったことから次は島全体を使って、2001年には「THE STANDARD」展へとつながっていく。診療所や床屋、商店などでアートを展示し、その頃になると住民がボランティアで作品を解説したり島以外から若いボランティアがやってくるようになった。2004年には地中美術館が開館しウォルター・デ・マリアやモネの作品が永久設置される。

今年は「NAOSHIMA STANDARD2」を開催し6年前の草の根的な動きから「海の駅」草間弥生の「赤かぼちゃ」といったパブリックアートを公共事業と連動させてムーブメントとしてひとつの流れをつくるというところまできている。今回は12人の作家が参加し半分は常連組みで、その作家達は直島的な作品制作をすることで別の場所でも直島的なものを広げていっている。半分は閉塞感を排除するために新しい作家を登用した。見過ごしていた場所や物がもう一度手を入れることによって再発見されそこで織成す風景が重要でそこに住民との接点がある。今地域を燃えさせるものは何か、アーティストを燃えさせるものが何かをキュレターが示していくことが必要である。このようにしてハードの面では完成に近づいている。後は直島という舞台で活躍する出演者を増やすことが求められる。「直島アートマーケット」や四季折々のイベント性の高い仕掛けが考えられる。今年は数十年休止していた稲作を復活させた「直島米作りプロジェクト」も開催され、里山の景観を再生させた。地元住民だけでなく外から移り住む人々も増えてきて、その第一陣として「Caféまるや」があり小さくてもよいからはっきりと自分の思いを持った空間活動をいろんな人と連携して刺激しあっている。香川大の地域経済ゼミでは実際に学生がカフェを開いて経済が文化とどう接近するかを体験している。このように自分達にあった展覧会やいろんなカルチャーが混在することで直島は豊かになってきている。

最後に民家の前で談笑する地元のお年寄りと若い人の写真が映され世代を超えてそこでふれあい生活していることが健康的であり、写真のように人に声をかけられるようなやさしさを地域に残していかないといけないとされた。直島に訪れると感じるすがすがしい気持ちのよさはこのようなところから感じるものなのかとあらためて思った。実践者である秋元さんからアートと人(地域)の結びつきについて特に後半得ることが多くこれからの活動に生かしていきたいと思った。(nao)