オープンカレッジ講座3 報告その1

おまたせしました!
遅くなりましたが、第3回オープンカレッジレポートをお送りします。

今回のオープンカレッジは、キャンパスから街の真ん中にあるドコモスタジオに場所を移して開催されました。

街の雑踏、福引の声、からくり時計の鐘の音…
様々な音が入り混じるなか、P3代表 芹沢高志さんを講師としてお迎えしました。芹沢さんは、デメーテル総合プロデューサー、アサヒアートフェスティバル実行委員会事務局長、横浜トリエンナーレ2005プロデューサーを務められた方です。
そのご経験より、今回はテーマである『場(サイト)の力とアート』について、『ローカルとグローバルをつなぐ回路』を表題として第一部はご講演いただき、第二部は受講者のみなさんと意見交換を行いました。

まず、芹沢さんがアートに携わるきっかけとなった、東長寺の新伽藍建設計画では、
お寺が社会と結びついて今まで訪れたことのない人を取り入れるために、アートの場をつくっていったことをお話されました。
芹沢さん、始めはプランナーとして参加されたらしいのですが、いつのまにやら・・・だそうで、アートの世界って奥が深いですね 笑
現在アートをとりまく大きな変化が起こりつつあるということです。
今までの中央→地方へ専門家のお墨付きの作品をもってくる、という形式がゆさぶられつつあるということ。
観る側が専門家の意見からアートを享受する、消費するという関係が変化しているということ。
その変化の中で、日本全国各地の小さな動きが連結して、何か大きなことが起こるかもしれないというお話には、私たちもアートに関係する者として松山からその何かを創っていきたいと決意を新たにさせられました。

次に2つの危機感についてお話されました。
1つはイマジネーションの危機についてです。
現在社会情勢として、「わかりのよい」キャッチーなものが受け入れられているなか、一言ではわからないことは排除されています。
自分にないものをどのように理解していくのか、そのわかろうとする努力の必要性がアートの存在意義につながる、ということがまず述べられました。

もう1つはローカルとグローバルについて。
芹沢さんのお話では、ローカルとはここでないと成立しないもの、個のかけがえのないものを指し、グローバルは、異なる文化のなかで共通する普遍的な部分、多くの人々に共通する部分を指します。

このローカルとグローバルがつながっていないという危機感。
一様化していく世界と、自分たちの守りたいもの、守りぬきたいものの軋轢が生まれている中、それぞれの文化の相違を尊重し合うためには「小さな個々のローカルの意識と大きなグローバル意識の回路」が絶対必要となってくることをお話されました。
その回路に流れるのが先ほどのイマジネーション、想像力だそうです。
アートは想像力のレッスンという役割があり、今もなおアートが滅びず存在しているのにはこの社会への役割があるとのことでした。

続いて、美術作品の形態の変化とともに、美術館からそれ以外の場所でのアート活動が活性化しているというお話がありました。
インスタレーションの作品は空間全体が作品となるため、従来の売買の形式がとれなくなりどこからどこまでが作品なのか、その定義がわからなくなっていきました。
その美術館という空間的・精神的に守られた場所からストリート(美術館以外の場)に出てくることは、予定調和の空間から挑戦の場にアーティスト自身が身をおくことになります。
ストリートはアートに特化した場ではないため、好意的ではない視線に晒されることも少なくなく、コミュニケーションが必要不可欠になります。
しかし、ここでアートに興味のない人に受け入れてもらうためにアーティスト自身が先回りして「わかりよい」アートに作品をしてしまうことがある危険性が挙げられました。
その自己規制は自閉性を生み、悪い意味での「村」を身内のなかだけで成立してしまいます。先回りするアーティストは想像力の欠如を加速する、とのご指摘がありました。

最後に、芹沢さんのお話のなかで、アートはわからないとよく耳にするけれど、「わからない」って何?わかればいいのか?というものがありました。
わからないことを考える、このイマジネーションの働きをアートを通じで多くの方とコミュニケーションをとるなかで広げていきたいと、そしてローカルからグローバルへ、グローバルからローカルへ、つなぐ役割を担っていきたいと想いを再確認したご講義でした。

続きまして第二部のレポート、少々お待ち下さい!! (tama)