思考の交流 クロストーク@アーツ

遅れました! ですが、しかし!
いよいよ「思考の交流 クロストーク@アーツ」スタートです。
前回の「思考の交流 言説の鬼」をリニューアル。
より気軽に、いつでも参加していただけるよう、
アートだけにこだわりません。
まちづくり・社会・世相・民俗など、
書きたいことを自由に書く。
より多くの、カコアメンバーと外部執筆者の参加をお待ちしております。
(ブログの参加の仕方は、広報よりお知らせします)
そこで、第一号は僭越ながら、わたくし藤岡が担当させていただきます。
みなさまの参考として、ご高覧いただけたら幸いでございます。
では、よろしく!

さてみなさん、のっけから問題です。

この写真は、愛媛県松山市近郊のへんろ道沿いに安置されている石仏です。
(弘化3年 1846 江戸時代後期 明治に変わる約20年前)

石仏には、何かがお供えされています。(モザイク部)
それはなんでしょう?

答え:にんじん

にんじんでした。で、
「ふ〜ん」で、終わってしまうと、なんてことはないのですが、
「にんじんって、おかしくね!(東京の若い人風に言う必要はありませんが)」
じつはにんじんを供えてある理由があるのです。

この石仏は「馬頭観音」と呼ばれるものです。
馬頭観音は経典にでてくるような正式な仏さんではなく、
どちらかというと「道祖神」や「お墓の六地蔵」のような、
「民間信仰」からでた仏さんです。
また、牛馬などの家畜の仏さんでもあります。

このへんろ道は、久万街道と重なっており、三坂峠の麓であることを考えると、
想像が膨らみます。
久万街道では、かつて物資を「馬」に積載して、行き来していました。
「馬」は、在来種の小さな馬です。小さい体にいっぱい荷物を載せ、急斜面の三坂峠を毎日通っていました。あるときついにこの場所で行き倒れてしまう。
そこで飼い主である「馬子」は、長期の使役に耐えた「馬」に感謝し、この場所に埋葬して、「馬頭観音」を安置した。
おそらく、その馬をわが子のようにかわいがっていたのでは・・・。

ここで大切なのは、平成の今、地元の人が「にんじん」を、この石仏に供えている、ということです。
この道は、たいていの人が車で通る道なので、気付かないで通り過ぎてしまいます。
徒歩で通る地元の人だけが、供えることができます。
また、さらに、この石仏が「馬頭観音」で、「家畜の観音」であることを知っていなければなりません。それも当然のこととして、地元の人は知っている。

だから「にんじん」なのですね。

わたしたちには何千年もの文化の歴史がありますが、
それを断ち切り、刹那で生きているのが、現代人ではないかと思います。
しかし、かろうじて田舎の四国には、まだかすかに、先人が積み上げてきた文化の息吹が残っている。

アーティストのみなさんにも、なにかのヒントになるのではと思いました。

藤岡