三輪田米山とフィールドミュージアム1

思考の交流 クロストーク@アーツ藤岡さんの幕末、文化の歴史の話に触発されました。

1821(文政4)年、伊予松山の日尾八幡神社に生まれ、1908(明治41)年に没した伊予の神主、もしくは豪傑と呼ばれる書家、三輪田米山(みわだべいざん)が没して今年で100年になります。
先日の新日曜美術館をご覧になった方も多いと思いますが、書の古典に深く学び、独自の書風を確立したその書は、とらわれのない破格の造形美を現出し、爆発的なエネルギーにみちた古今に類を見ないもので、伊予の人たちは今日まで、書を愛し酒を愛した米山の人と書をいつくしんできました。彼が残した膨大な数の作品は伊予の人達によって大切に守られ、まだ日の目を見ない作品も多いと聞きます。。。が、私は米山を知ったのは2年ほど前。書に疎い私が驚いたのは松山市内を中心に現存する米山の書を彫った神社の石文、神名石が実に100カ所近くもあり(未確認のものもあるそうです)、地方祭(秋祭り)の空に壮大に立ち上げられる幟の書など、米山が沢山地元住民たちによって守られていることです。石文や幟の原画(書)は軸装、屏風など表装され住民がコレクションしている作品も多く現存します。

米山が石文に直接石に彫ったり、幟に直接書を描いたわけではなく石工や染め物職人が加工する訳ですが、現場に出向いて書を書き、石工に彫りの深さを指示したり、第三者によって仕上げられる作品はまさに現代のデザイナーと同じです。静寂な神社で観る米山作品は昨今、作品陳列の場と化した箱ものと違い、作品と作品をとりまく環境、空気、すべてがそこになければならない必然を感じます。

これらの米山作品は没後100年経った今でも「松山フィールドミュージアム」で自由に観ることが出来ます。※入場無料(カコアが活動している三津地域にも厳島神社の注連石に米山の書が刻まれています。)残念ながら地元松山でも米山を知る人は少なく、その芸術的価値に気づく人は限られていました。しかし、それらの作品を広く伝えよう、残そうと活動されている団体、NPGが最近注目されています。地元に眠っている作品の調査や石文の拓本収集をしてその神社の紹介、作品の紹介しているマドンナチームは絵手紙の得意な表現でフィールドマップを作成し、松山インフォメーションで公開しています。

三輪田米山石文マップ/マドンナチーム作成
三輪田米山とマドンナチーム

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