本(フォント)の出会い (とかち帯広)

突然、何でこの話なのか…というと、
AAFの最終報告会に参加したから生まれた話、、
だからこれは旅の記録…そして私の今の記憶なのかも…と思い抜粋。

普通に「北海道⇔東京往復」と言えば聞こえがいいかもしれない…
しかし「とかち⇔浅草」を会議で往復したと言えばご理解いただけるだろうか…?
用務以外、「移動」に時間が消えてしまうのである…。

これは北海道に住んでいて「車生活」に慣れている者には
けっこうツライ。。適応にしばらくかかる…。

AAF最終報告会を終え、旅立ちの日の朝。
「浅草⇔羽田」の1時間移動の隙間に
表参道までたどり着き、一瞬だけ「NADIF」に立ち寄る隙を得た…。

その店内で旅の友である高坂光尚がフと手にしたのが
「世界アーティストサミット(開催地・京都)」のシンポジウム録…。

NADIFの店の中にある書棚テーブルに積まれていた一冊の本だったのだけど、
彼はその本を、帰りの飛行機の数時間で読破していた…(すごく感心)。

“本”…思うにお店を離れて一読者の手に渡った瞬間、それはもう
別の意味を成すような気がして…。思えばいつも、本を手にとった瞬間に
同じようなことを考えているようなきがしているのだけど…なんだろう。。
それと、その本に書いてある”情報”についても別の意味のように考えてしまう…。

最近、いろんな分野で、真実と操作の行為の狭間にたくさんの問題が提起され、
課題とされているような気がするのだが、、私は思う。

何が真実で、何が真実でないか…に関わらず、いろんな表現、
いろんな意見、いろんな場面において自分自身がどうあるべきか?
どう理解するか?どう行動するか…?

…それを考えるほうが先なのではないだろうかと…。

そして、そんな時に突然遭遇したのが、高坂さんから
ポンと渡された「世界アーティストサミット」シンポジウム録なのである。

まさに偶然の必然。この本との出会いもまた。
自己において勝手に意味を成している。

本に出会った瞬間ではなく、人の手を通して、
この本の話をすることにまず意味が生まれている…と感じるのだ。

ところで、その本の内容は、世界を舞台にアーティストとして活躍する
日本や海外出身の「作り手」がアートに出来ることは何か…?
という話に始まり、身の回りから世界を考えて話し合うという
ちょっと今まで話題にしない感じの話…なのだった。

そして私はと言えば、その場に居合わせた訳でもないのに
本というかその「紙=文面」から不思議な雰囲気が醸し出されていて
何と言ったらいいのだろう…。妙に納得のいく「本=作品」に
出会ってしまった感じがして。ただ「ふ〜ん…」と感心している始末。

どうやら私は、そこに書いてある意見が正しい・間違いとかそういう話題ではなく…
その本そのものを「作品」として感じてしまったらしいのである…。

世の中にはいろんな哲学があって宗教があって人種があるが、
この件に関して言えば「私の五感以外の何か」が”YES”とつぶやいた…。

勘がいい、勘が悪いはアーティストに限ったことではないが、
少なくてもこの本の中に登場する作家達には何か抜群の勘の良さを感じる…。
少しまた、話は戻るけど、、またこの言葉に戻りたい…。

『それじゃぁ秘密を言うよ。
簡単なことなんだ_______肝心なことは目には見えない。』

私はそれを見出したい
…もしくはそれに近い何かを感じていたい…。

どうやったら出来るの…?なんて子どもみたいな不安を抱えつつ、
試しにまず「文字」から入ってみることにした…。本を作る為に
自分が使用するパソコンに自分のオリジナルフォントを作ってしまったのである…。

少し嬉しい、妙に恥ずかしい。。でもそのおかげで昨日よりもほん(本)の少し、、
未来へ向けて新しい何かを生み出せるような気が、今はしている。

高田K子(写真作家・プランナー)