美豆の小島は「封内風土記(安永2年)に「東西7間、南北12間、高さ4間」と記されている岩石の一小島で、島の中に弁財天を祀り、周囲には老松が枝を交え、風光明媚で平安朝の昔から歌枕として、詠歌の友として讃美された景勝の地」だそうです。松尾芭蕉もここを通って鳴子へ向かいました。
国道沿いの看板が小さいので毎回通り過ぎていましたが、通い湯治の何度目かでやっと立ち寄ることができました。
明治43年の大洪水で、島内の樹木はすべて流失してしまったそうです。が、その後、人々の努力のかいあって景観はもとに復活。写真のとおりになっています(右上の島に松がはえています。が、あんまりよく見えないですね)。
ところでその同じ大洪水は、東鳴子にあった御殿湯も流してしまいました。そして東鳴子ゆめ会議を立ち上げたとき、メンバーが目標のひとつとしてかかげたのが、御殿湯復活。「美豆の小島」と同様、いつかすばらしい御殿湯が復活することでしょう。
(コメント:門脇篤)