AIT初日の7月6日、小雨の降る中、「施行」は開始されました。
県の土木事務所から「工作物:毛糸の橋」として許可をいただいたこの作品、いつもはひざ下までしか水位のない江合川も、梅雨のこの時期は「洪水期」とあって、計画では毛糸の端を川原の手すりに結んだ後、上川原橋という橋をわたって対岸へと結ぶ予定でしたが、血気盛んな温泉街の旅館・商店の若旦那たちは「そんなめんどうなことしてられるか」と川を横断しはじめてしまいました。
写真は先陣を切って川に入る千両食堂さん。本人いわく、1時間で帰るつもりが最後までやってしまった。しかも注文受けていたことまで忘れて。
毛糸は非常にからまりやすく、扱いがけっこうやっかいな「素材」です。若旦那たちが無鉄砲なことをやりはじめてしまい、私のアタマには「失敗」の二文字が大きく浮かびました。いっぺんに毛糸を対岸へ渡そうとしたために、10本近い毛糸がひとつにからまってしまったのです。この半年間、こまめに現地に足を運んで町の方に説明を重ねたり、県の土木事務所はじめ地元警察や市役所に通って出してもらった許可もすべてが無に帰してしまうのではないか。
いやしかし、町の方が参加して共同制作するところに意義があるのであって、作品としての出来不出来は二の次だろうと自分に言い聞かせ、若旦那たちにすべてをまかすことにしました。
するとどうでしょう、奇跡は起こったのです。
「もういいです。ありがとうございます。みなさんよくやってくれました。そのからまっちゃったやつ、一本にして展示しましょう。あと私がやっておきますから」
そんな私の言葉も耳に入らないようすで、若旦那たちは、あたかもひとつの運動体のように、からまった中から毛糸を一本一本ほぐしはじめたのです。
「一番端、オレンジー!」「一番端オレンジいきまーす」
7月とはいえ、みちのくの梅雨時の川の中で、それは想像を絶するような根気と忍耐のいる作業でした。しかし彼らはそれをやってのけたのです。
制作を終え、川原で「毛糸の橋」をながめながら、この日婦人部のみなさんが炊き出ししてくれたおにぎりをほおばる若旦那たち。
すばらしい活躍でした。みなさん、本当にまじめで実直な方々ばかりなんですね。いたいほどよくわかりました。ここではまだ「アート」が純粋な価値をもっているように思いました。みんなが私の作品をつくるためにではなく、「アート」というもののために、自分のできるかぎりの力を出し合ったのです。そしてそれは「アート」のもつ価値であり、力であり、「まち」のもつそれとつながっていくものでしょう。
こうしてできた「毛糸の橋」は、1週間の会期中、雨風にもびくともせずに対岸と「まち」を結びました。
雨の日には雨をふくんで重くたれ、晴れた日にはかわいて上がり、風に複雑な曲線を描きました。
やがて岸のつるが毛糸にからみつき、もうほとんど違和感なくその場になじんできたところで、「毛糸の橋」は許可の期限が切れ、撤去されました。
しかしその記憶はいつまでもつづくことでしょう。
(コメント:門脇篤)