雑草を育てる、という湯治アーティスト・狩野哲郎さんの作品は、出展が決まった時点からいつも話題にのぼっていました。自然豊かな鳴子温泉郷という土地柄、雑草などあまりに当たり前の存在で、それがアートになりうるという発想は、ものの見方に変更をせまるとともに、この地に「アート」という言葉をはやらせました。
狩野さんは常に割れ目やひび割れを見つけると、そこに植物は育つだろうかと考えるそうです。
初めて東鳴子を訪れた際、展示場所を見つけていく中、東鳴子会館という場所と出会いました。そこは長く使われておらず、その日はたいへんな大雨で、入口を入ると滝のような雨漏りがしていました。雨漏りの落ちる地点、ソフトフローリングがめくれあがっている部分に狩野さんは雑草を植えて育てるプランを立てました。
東京で種から育てた数種類の「雑草」を、狩野さんは東北新幹線と陸羽東線を使って東鳴子へ運びました。
長く荷物置き場として使われていたロビー部分を、東鳴子ゆめ会議の若旦那たちが片付け、たんねんにそうじをしてアーティストと「雑草」を迎えます。
そうしてできたのがこの作品です。狩野さんは東鳴子でもシロツメクサなどのタネを採取、これを展示するとともに、持ち帰って今後の作品づくりに活用していくそうです。
狩野さんのこの作品の東鳴子へ与えたインパクトは、おそらく長い時間をかけて芽を出していくのではないでしょうか。
自分がいいと思うこと、興味のあることをすくいとるその視線や解釈、その一点にすべてをかけるこの軽業のようなアートは、人々に自分たちの視線や解釈、生活そのものまでをも省みることをせまったように思います。
旅館大沼のおかみさんが自慢の茶室でお茶を点ててふるまい出したのは偶然ではないでしょう。「これがわたくしのアートなんざますのよ」というその転機、また温泉を管理する湯守(ゆもり)が自分のところのお湯をアートと説明しはじめ、浮き草を栽培している方が、水槽に「浮き草アート」というタイトルプレートをつけ出したこれらの変化は、雑草を育てることをアートというなら、私のこれだってアートだろうという素朴な気持ちに起因しているように思います。それは何か自分のいいと思うものを見せたい、わかってもらいたいという原初的な気持ちであり、それこそアートをはじめとする人間の営みの源ではないでしょうか。
雑草はしっかりと人々の心に根をはったのです。
(コメント:門脇篤)