10月1日に行われたアサヒ・アート・フェスティバル(AAF)2006報告会の2日目、パネルディスカッションのおり、パネリストのひとり琉球大学のティトス・スプリーさんから、AAF参加企画について、痛みや苦いところにふれた企画が少なかったのではないか、という指摘があり、また「楽の会」の清水さんからアートの「質」についての議論がAAFの中でほとんどないという指摘がつづき、最後に加藤種男さんから、芸術作品というのは解決不可能な問題を浮き彫りにするといったものなのだが、この日本という国の体質は、そうしたものを成立させにくいところがあり、それを体現しているような、軒下に毛糸をぶらさげる門脇の作品のようなものは、従来の作品観では作品とは言えないようなものだ、といった話になり、それにこたえた「アート遊覧」の原さんも、そうじゃない立派なアーティストはいっぱいいる、とかいう感じで、聞く人によってはどうも私の毛糸は根本的な問題と対峙することを避ける日本人体質の表れの見本のような、作品ともいえないもの、といったように言われているようであり、せっかく私に企画をやらせてくれた東鳴子ゆめ会議のみなさんや、これから呼んでくださるコミュニティアート・ふなばしのみなさんが、そうしたアーティストを呼んでいるといった「誤解」にさらされては申し訳ないので、私がなぜ毛糸を結ぶようになり、それが何を意図しているのかを説明したいと思います。
私がいわゆる現代アートの領域で作品をつくり始めたのは、2003年のことで、宮城教育大の村上タカシ氏が企画した「TANABATA.org Art Project」(以下「オルグ」)に参加して以降のことです。「オルグ」は、仙台七夕の行われているアーケード街を舞台とした現代アート展で、特に私の参加した「ロジアート」という企画は、商店街を回って自分の展示場所をさがして展示を行う、というものでした。ひとり原則一軒、と決められていたのですが、私はいろいろな店を回り、七夕とその店にちなんで「願い」とその店で扱っているものとを組み合わせた作品を多数設置するマルチプルな作品を制作しました。例えば珈琲豆店では、「私の願いは豆ほどたくさん」というテキストとコーヒー豆を、スパゲティ店では「パスタがゆであがるまで願いごとでもしてみよう」というテキストと乾燥パスタ、といった具合に。それからアーケードの柱には宮城・仙台をテーマとした同様のものを。そしてこの時から、私はいわゆるアート・スペースでない場所での展示、もっと言えば地域コミュニティとのかかわりの中での作品制作に興味をもち、以降これをつづけてきました。
毛糸はそうした中で生まれてきたものです。
オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件をおぼえていらっしゃる方も多いかと思います。私は学生時代、いつも坂本弁護士一家のポスターを駅でながめながら生活していました。
坂本弁護士の奥さん都子(さとこ)さんは、学生時代に、毛糸の詩という短い詩を書かれたそうです。それはいろいろな色の毛糸を結ぶようにして、街の人の心を結びたいという内容のもので、坂本さん一家の捜索に尽力された都子さんの友人で弁護士の中村裕二さんは、結局、サリン事件以降、オウム真理教の犯罪が明るみになり、一家がすでに殺害されていたことを知り、都子さんの詩につづきを書いて、そのまた友人のシンガーソングライターの安国修二さんに曲をつけてもらい、一枚のCDにしたそうです。
私はそのまた友人の音楽プロデューサー山里剛さんからその話を聞いたのですが、あまりに重い話に、CDを聞いたら何かおくやみを言ったり、ほめたりしないといけないような、お涙頂戴みたいなものを感じて、長らくCDを聞かずにいました。ところがその山里さんがCDを弦楽四重奏にするプロデュースをしたと聞いて、また近々会うことだし、ひとつ聞いておかねば、と取り寄せて聞いたところ、これが実によかったのです。
その背景とは無関係に、作品として成立していることのすばらしさに私は感動し、私もひとつ何かしてみたいと考えました。そこで思いついたのが、都子さんの詩の通り、街に毛糸を結んでみようということでした。むろん、詩の意味するところは街の人の心を結ぶ、ということであって、物理的に毛糸を結ぶということでは全くないわけですが、私はそれを自分のアート作品として、あえて「誤解」した「引用」を行ってみようと強く思ったのです。そして作品にはこうした背景があることをはじめから明かさないことにしました。そのばかばかしいような表現に興味をおぼえた人に、なぜこうしたものをとたずねられた場合にだけ明かすことにしました。それを聞いた時と聞く前では、作品が変容するように感じたからです。
現在私たちは、都市と地域のふたつの領域で生活しているように思います。私が「都市」と言うのは、人が個として生きている空間のことで、ネットやマスコミなどの情報でつながり、いわば好き嫌いでものごとが決せられるような世界のことです。逆に「地域」というのは、地域コミュニティと言ってもいいですが、その人の属している集団のことです。好き嫌いでは決せられないものがある。だからたとえば東京や大阪のような都市には地域はなく、東鳴子のような地方には都市がないわけではありません。どんな都市にも地域があり、どんな田舎にも都市はある。そして私が興味をもつのは、地域コミュニティとしてのその場所、その人なのだと思います。
反対に私は美術品を美術空間に展示することには、自分の営みとしては、ほとんど興味がもてません。それを見に行くのも見に行かないのも好き嫌いで決まることで、それに関しては何を言われる筋合いもありません。ところが地域に作品を設置すること、たとえば通りにえんえんと毛糸を結ぶとか、川に毛糸の橋をつくるとかいったことは、地域の問題とかかわることで、個人の好き嫌いでは決まらないことです。
もちろん個人が個人として尊重され、自分の好きな世界で好きに生活する自由は、近代以降の価値として、本当にすばらしいものだと思います。逆に地域コミュニティの中で制度的にしいたげられてきたポジションがあったり、個人の自由が制限されていることは大問題です。しかし、地域コミュニティを破壊することは即個人の豊かな自由を意味しないのではないかと、ちょっと不自由な地域の中で活動しながら、思うことがあります。その交錯した地点で生きているというのが、私たちなのだろうと思います。そして私はそうした地点で制作を積み上げていくことに興味があります。興味があるというよりは、それ以外にどうしようもない、というのが本当のところです。
私の毛糸の「作品」は、そうした意味で地域との共同作品です。観客を想定していない、と言いかえてもいいかもしれません。ひとりひとりに説明をしていったり、ときにはいっしょに参加してもらうことで、毛糸は私のものではなくなり、地域のものになります。だからモノとしてのそれが何なのか、どういう意味があるのか、といったことは、最終的には重要ではなくなるようです。
また、毛糸という素材を使っていることから、どう見ても悪人には見えないというところがあります。しかし私がなごみ系やいやし系という意図で毛糸を使っているのでないことは、きっかけのところのお話でおわかりいただけたかと思います。毛糸によって結ばれること、それはほんわかやさしいことや、平和の象徴や、心があったかくなるようなものでなく、地域コミュニティもそのひとつですし、坂本弁護士が連れ去られた家族を取り戻すためにオウム真理教とかかわりをもったこと、つまりは結ばれたことで、その命を奪われることになったこともそのひとつだと思いますが、人と人とが結ばれることは時に人の自由を奪うことであったり、命をも奪うことであったりするということです。しかしそれは本来的には善でも悪でもない、人間として生きて、他者と関わりをもっている以上、避けえないことの最たることなのではないかと思います。だから晴れた空の下、軒下に毛糸がぶらさがっている光景を見ても、平和でいいなぁとか、きれいだねぇとかいうだけでなく、解決しえない悲しい問題にやわらかに切り込むものにも見えるかもしれないと思うのです。
むろん、そんなことばかりでなく、単に美しいなぁとか、大きいのつくりたいなぁとかいう気分でやっている部分も大きいわけですが。
ということで、これが私が毛糸を結ぶことになったきっかけと、どうしてそれをつづけているかについてのお話です。
(コメント:門脇篤)