夜7時、旅館大沼山荘「母里乃館」にて、「温泉deアート会議」が開催されました。
この「会議」は、町内会役員の遠藤区長さんと「アート湯治祭」について話をしていく中で、もっと町内会を巻き込んでもらいたいという話から、ではどうしたらもっと巻き込めるかといっしょに考えていく中で、企画の初期段階に参画できないか、とか、そこからアート作品を制作していくことで問題解決の糸口になるような、まちの問題点をアーティストに提示していけないか、とかいった話になり、それがいつしかさらには「じゃあいったい、アートって何なのか、というあたりからもっとまちのみんなに説明してもらえないか」といった話になって、じゃあちょうどいいから今年の「アート湯治祭」のオープニングで開催しましょうと実現したものです。やることに決まったのは7月上旬です。
「会議」を行う上で、区長さんと何度も確認したのは、アートの専門的な話を一方的に延々と聞かされるようなものには絶対にしない、ということでした。とにかく、全員が参加する対話型の「会議」にすること、その中で、予定調和的な模範解答のようなものを示すのではなく、とにかく、言いたいことをぶちまけてもらおう、ということを確認して、スタートしました。
そして「会議」は開会早々、予定通り、まったく予想もつかない方向へと走り出しました。町内会役員の方が、「この”アート湯治祭”というのは、いったい何がねらいなのかさっぱりわからない。アートの研修なのか、湯治場の客寄せなのか、町内の親睦を図るためのものなのか。いったいどんな意図があってやっているのか」と、単刀直入に口火を切ってくださったのです。
居合わせたのは参加アーティストやアート関係者、町内会のみなさんや東鳴子ゆめ会議のメンバーでしたが、みなさんこうした素朴な疑問、ひっかかっていること、思っていることなどについて、本当に自分のこととして考え、受け止め、発言してくださいました
(このあたり、詳細は録音もしてありますので、後ほどドキュメントとしてテキスト化し、公開していきたいと考えています。興味のある方はドキュメントが完成しましたらご連絡いたしますので、ご一報ください)。
本当にいい「会議」だったと思います。アートの歴史にとってどうこうというものではないかもしれませんが、確実に東鳴子とそれを取り巻く「われわれ」いう、このコミュニティにとっては記念すべき、代えがたい価値ある「場」だったと思います。
まちでアートをすることの意味は、こういうところにあるのではないか、と私は思います。このアートという何やら得たいの知れないものをきっかけとして、そこに住まう人、そこに集う人が、思いをぶつけあい、思いを汲み取り合って、その場その時を共有しえたことを貴重な体験として刻むこと。これこそが、まちでアートをすることの最大の意味であり、喜びではないでしょうか。
この夜は、それを確かに感じることができました。本当にいい夜だったと思います。
予定より1時間近く延長し、9時近くになって「会議」が終了した後は、東鳴子の「おふう」さんで2次会。ゆめ会議メンバーや参加アーティスト、宮城教育大の村上タカシ先生、P3の遠藤さんなどで、「アート湯治祭」のオープニングと「温泉deアート会議」の成功を祝いました。
明日はとうとう「グランド・オープン」です!
(コメント:門脇篤)