門脇です。
「JR陸羽東線の9つの無人駅に
7〜8月の間、1冊のノートを設置します。
沿線でのできごとや列車を利用されている方々が
思ったことや感じていること
何でもけっこうですのでお書きください。
アーティストがノートへの書き込みをもとに
アート作品を制作し
10月以降、陸羽東線上で発表します」
という説明書きとともに、私は7月13日〜8月31日の間、古川の次の塚目駅から鳴子の次の中山平温泉駅に至る間の無人駅9駅に「ローカル線ノート」を設置しました。
期間中のノートの状況は以下の通りです。
7月13日に塚目、西古川、東大崎、西大崎、有備館、上野目、池月、川渡温泉、中山平温泉の9駅にノートを設置。
7月30日、9駅を見回ったところ、塚目、西古川、上野目、池月の4駅で紛失。8月2日にこの4駅に補充。また、中山平温泉駅は工事に入ったため、ノート設置を中止。
8月13日に8駅を見回ったところ、すべての駅にノートがありました。
8月25日に見回ったところ、池月、上野目、西大崎で紛失。
8月31日に回収に行ったところ、西古川で紛失。塚目、東大崎、有備館、川渡温泉の4駅分を回収。
結局、東大崎、有備館、川渡温泉の3駅は7月13日〜8月31日の1か月半の期間中、紛失することなく、特に東大崎と川渡温泉の2駅は継続的に書き込みされ、駅の待合室のコミュニケーションツールとなっていました。
以下、設置した「ローカル線ノート」への書き込みです。
*************
塚目駅
・8/11 東京からきました。東京からみえる黄緑の田んぼと緑色の畑の勢力争いが見応えあります。
・8/12 東京から帰ってきました。明日、わが家の本家がある栗駒に行きます。TVで流れない所を見てこようと思ってます。
・8/23 ちょっと早目の時は、掃除(はくだけですけど)を心掛けています。今日はとてもさっぱりしていました(10:42)
皆で気を付ければね!
・八月二十三日(土)夜九時〇五分
きっとこの塚目駅で出逢ったことノートの事を生涯忘れないかと思います。
私(ふつうの男)は、古川駅で上り下りをまちがい。西に向いた列車で飛びおり、朝まで列車が無いこの駅に降り、どうしようか? 本当にどうしようか悩んでます。
思えば、今、日本は未来が見えず、悩んでいる人であふれているかもしれず、私は今、大学で教えている職業にありますが、こんなノートを若い人達は捜していると心から思います。
古川には、地震でこまっている方々のお力になるためにまいりました。
何か人が立ち上る事を古川の方達と話したく、でもなぜか塚目駅でこのノートに出逢いました。
どうかどうか、後に続く方、少しだけこのノートをご覧頂く方も、やさしく主催なされた方のお心にふれてみたく心から思います。
…たぶん、みんな世界中の人達に無限のストーリーがあって、スタートラインもぜんぶ違うけど、どこかでほんの少しだけ交差して、小さな駅とこのノートと出逢いました。ありがとうございます。
この一冊のノートで救われる方、思いを書ける方の気持ちが日本中に広がればと思います。
もし小さなストーリを書く事をお許し頂ければと存じます。
『戦車を運んだ駅の手前で』
…あのね、西古川駅には、むかし63年前、日本中から、戦争で使う戦車が運ばれてきてて、その一つ前の塚目駅はずっと何千台もの戦車を見てきたんだなと本当に思います…
つらかったか、当時としてはあたり前かは、駅の近くに住む人に聞いてないけど、駅は、駅舎は、たぶんつらかったと思います。
運ばれて来た戦車で何人の方が亡くなるか? 何のために戦車をこの古川まで運んできたか?
悲しい歴史が、塚目駅と西古川駅には、あって、私達はこの歴史をまっすぐに子供達に伝えていきたいと思います。
************
西古川駅
・西古川駅はいつから無人駅になったのかさみしいかぎり
おりた人は自分一人
前は4両のデーゼルカーだったが
今は2両のワンマンカー
昭和39年西古川駅利用者
(つづく)