もうひとつの憲法九条、ブータン

辻信一です。ブータンにいってきました。4度目となる今回の訪問の主な目的はかの国における「GNH」の今を探ることでした。

GNHとは何か、復習しておきましょう。それはヒマラヤの小さな国ブータンのジグメ・センゲ・ワンチュック第4代国王が作った言葉です。「GNP(国民総生産)」をもじって、最後の「プロダクツ」の「P」の代わりに、「ハピネス」、つまり幸せの「H」を入れる。訳して、「国民総幸福」。

彼が30年前のある演説の中で「GNPより、GNHの方が大事だ」と言って以来、ブータンの人々は、一見ダジャレのようなこのGNHという考え方に大真面目に取り組んできました。このことは、ぼくもこのMLや、いくつかの本の中で紹介してきました。

今年春、初の総選挙を経て民主主義国家として歩み始めたばかりのブータンでは、このGNHが国の基本理念として具体的な形をとることになったのです。

第一回国会の閉会を直前に控えた7月18日、この国の歴史上初めての憲法が施行された。そのちょうど10日後、ぼくたち一行は、内務大臣、ティンプー地裁主席判事、新聞社の編集委員らにインタビューを敢行、まだ湯気が出ているような真新しい憲法の冊子を手にしました。そして確かに、GNHという言葉が憲法の中に見つけて、なんか、とても幸せな気分になりました。それも、なんと憲法第9条の中に!

幸せを意味するハピネスとウェル・ビーイングという言葉はいきなり、憲法前文に現れます。そして第九条「国家政策の原理」の第二項にはGNHという表現が登場します。「国家はGNH(国民総幸福)の追求のために必要な諸条件の促進に努めなければならない」。同じ九条の中には、国が、市民の人権、威厳、自由が擁護され、抑圧、差別、暴力のない社会の実現を目指すべきこと(三項)、さらに、収入格差と富の集中を最小化する政策を立案、実行すべきこと(七項)が明記されています。

第三条の「精神的(スピリチュアル)な遺産」は、一方で、仏教の平和、非暴力、慈悲、寛容の価値観がブータン国民の精神的支柱であることを述べながら、他方で、政教の分離を定めています。第四条の「文化」は、伝統文化の保全とともに、文化のダイナミックな発展の可能性の大切さを謳っています。

「環境」と題された第五条では、ブータン国民が現世代のみならず、未来の世代に対して環境保全の責任を負うこと、政府がその先頭に立って原初の自然環境と生物多様性を守るべきこと、そして、常に国土の少なくとも60%が森林で覆われていなければならないことなどを定めています。

国王の六五歳定年制や国王をリコールできる規定をもつ第二条、政治腐敗防止のための体制を定める第二七条など、憲法は権力の濫用に対する厳しい姿勢に貫かれているように見えます。

さて、自ら先頭に立って国を王制から立憲君主制へと導き、さっさと権力の座から退いた第四代国王は、今、何を思っているのでしょう?

ぼくたちが意見を聞いたある人は、「民主化」について、こう言っていました。それは、経済発展やグローバル化に後ろ向きの国王が、自然や文化を守るために様々な手を打ったがうまくいかず、国内外の「開発派」の圧力に屈したことを意味するのではないか、と。仮にそれが本当だとすれば、果たして、ブータンのエリートたちがその知を結集し、世界中の百の憲法を参照してつくったというこの憲法は、あきらめの境地にあった前国王の慰めになるのでしょうか。そして、グローバル化の荒波からブータンの豊かな自然や文化、そして人々の幸福を守る防波堤になりうるのでしょうか?

軍隊を、政治的な権力をもたない国王の直属、としたことについても、いろいろな議論がありそうです。
以上、ブータン憲法についての第一印象でした。